Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

オザケンとハイデガー

ここ数週間、怒涛だった。

 

仕事が立て込んでいるとかそういうことはあるのだけど、ちょっと諸事情でしばらく家を空けることになった。

僕は実家が自宅の隣の市にあるので、そうなっても実家で過ごせばいい話ではあるのだけれど、ちょっと気分的にもすぐに実家に戻る気になれず、一週間ほど各地の安宿を転々とする生活をしてみた。いわゆる、ノマドというかLivingAnywhreというか。

結果わかったのは、「自宅」は大切ということ。まず毎日いろいろな宿を転々とするのは単純に疲れるし、明日どこに泊まるのかわからない状況が毎日続くのは、予想以上にストレスになる。久しぶりに自宅に寄ったときの安心感がものすごく、自宅という場所が、自分にとってどれだけ大切な場所なのかがよくわかった。

他にも、自分はなんだかんだ「神奈川」が落ち着くということや、鎌倉にいいゲストハウスとコワーキングを見つけたのでこれからもたまにワーケーションしにきたいなということなど、いろいろ学びはあった。でも、総体的にはしんどかった。

そんなこんなで、3週間ほど実家に滞在することに。せっかくなので実家まわりをいろいろ腰を落ち着けて開拓できればと思いつつ、かなり仕事が立て込んでいるのと、仕事環境としてはあまりよくないのでストレスが蓄積されるのは必至。

 

昨日は、オザケンの2年越しのライブに行ってきた。演出、演奏、選曲、そして朗読とすべてが最高で、最初の朗読から号泣してしまった。ライブでこんなに号泣したのは久しぶりかもしれない、マスクがあってよかった。非日常が訪れても、また日常が来る。変わりゆくこと、年月を経ることに対する肯定。ある意味でオザケンが一貫して追い続けているテーマがよく表れていた、最高のライブ。観られてよかった。

 

それから、来月末からハイデガーの輪読会に参加することになった。ハイデガーは、生活や暮らし、日常について考えるうえで示唆をもらえるのではないかと最近思っていて、あらためて入門書などを読んでみたりしていたのだが、たまたまいい縁があって、毎週あるので大変だとは思うがいい機会なので参加させていただくことにした。デューイにせよハイデガーにせよ、いちおう哲学徒だった学部時代は距離を感じていた思想家たちに、いま全く別の文脈から関心を抱いているのは、ふしぎなめぐり合わせを感じる。