あまり人に話したことはないのだけれど、やたらと頭の中で年代記を思い浮かべてしまう癖がある。
「来年で2023年ということは、大学に入った2013年から10年経つのか。ということは、大学入学から今までの時間をもう一度繰り返すと、2033年になって……」と意味のない計算をしてしまう。特にそれで感傷に浸ったり、絶望したりということもなく、ただただその計算結果を味わってしまう。
もちろん、楽しい1時間と退屈な1時間がまったくの別物であることを誰もが知っているように、時間というものはほんとうは相対的なものなので、何か絶対的で物質的なものとして時間があるという前提で行われるこうした計算は、無意味でしかない。
でも、それがまったくのフィクションであることを頭ではわかっていながら、それでも時間を何か物質的なカタマリとして捉えてすっぱりと切り分けたくなってしまうのは、人間の性でもあると思う。年の瀬になると一年を振り返り、翌年の計画を立てたくなってしまうのも、そんな逃れようもない性が仕向けていることなのだろう。
時間とはなにか。この問いには古来よりさまざまな賢人たちが向き合ってきたということは僕がわざわざ指摘し直すようなことではないが、その一人に20世紀を代表する哲学者の一人であるマルティン・ハイデガーがいる。
僕が今年一年を振り返ったとき、まず頭に浮かんできたのが、このハイデガーのことだ。
ここ数年、主に批評誌PLANETSの仕事で大変お世話になり、また個人的にも多くの影響を受けている哲学者の鞍田崇先生が主宰しているオンライン読書会に、今年の夏頃から参加させていただいている。僕が参加しはじめてからはハイデガーを取り扱っていて、半年かけて『芸術作品の根源』『技術への問い』『建てること、住むこと、考えること』の三篇を読んだ。年明けからはいよいよ、まさに「時間」を扱った主著『存在と時間』に取りかかる。
新年から『存在と時間』の読書会が始まります。前回は2年かかりました。今回も長い旅になるかと。
— 鞍田 崇 (@kurata_takashi) 2022年12月23日
*初回は1/10(火)。大学院ゼミの一環ですが、オンライン開催でモグリ歓迎。興味のある方は気軽にお問い合わせください。#火曜読書会 #明治大学総合芸術系 pic.twitter.com/oCd4Xy9qEB
いちおう哲学をやる学科の出身で、しかも指導教官の専門がハイデガーを師とするハンナ・アーレントであったにもかかわらず、なんだかハイデガーをしっかり読みたいという気分には今までなったことがなかった。でも、ここ数年、自分の関心が「暮らし」や「生活」といったキーワードに寄ってきて、民藝をはじめとする工芸の勉強をしていく中で、ふとハイデガーという存在が浮かび上がってきた。そんな折、たまたまこの読書会の存在を知り、民藝を研究する哲学者である鞍田先生の導きで読めるなんてこれ以上の機会はないと、思い切って参加させていただくことに。
結果、今年下した中でも有数の、とてもよい意思決定になった。内容が勉強になるのはもちろん、週1回、約3時間かけて少しずつ哲学書を読み進め、議論していくこと自体が大学生のときぶりで、こうした時間の大切さを身にしみて感じている。来年も引き続き、大切にしたい時間の一つだ。このような機会をひらいてくださる鞍田先生には本当に感謝しかない。(ちなみに、もし読書会に関心がある方がいらっしゃったら、僕宛にでもお気軽にご相談ください)
それから、今年は地元が僕と同じく川崎北部の知人と、川崎や郊外関連の本を読みながら「地元」などについてあれこれ考える会もしている。あらためて読書会という時間の大切さを実感しているので、来年以降も積極的に作っていきたい。いまは気分的に、哲学(特にプラグマティズム、制作論、学習論など)や工芸あたりの関心が強めではあるけれど、別にそのジャンルに限らず、自分にとって一定の切実さのあるテーマであれば全然ありなので、もしなにか一緒に読みたいって方がいらっしゃればお気軽に声をかけていただけると嬉しいです。
そういえば、もうだいぶ遠い昔のような気がしていたのだけれど、今年は上記の鞍田先生にもご協力いただいた『モノノメ 2』という雑誌の編集にがっつりと関わらせてもらったのも、個人的にはとてもいい経験になった。「身体」についての特集はもちろん、今年アカデミー賞で話題になった『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介さんとの鼎談、編集のみならずライターとしても精魂込めて作った「[ルポルタージュ]「ムジナの庭」では何が起きているのか」などをはじめ、ぜひもっと読んでいただけると嬉しいです。真冬の早朝から三浦半島に行って撮影したのも良い思い出。
あと今年の仕事では、編集者の岡田弘太郎氏に声をかけてもらい、人文/社会科学領域の研究者を支援するアカデミックインキュベーター・プログラム「デサイロ(De-Silo)」に、立ち上げからがっつり関わらせてもらったのも個人的には大きなトピック。こちらは来年、より一層いろいろ仕掛けていく予定なので、もしよければチェックいただけると嬉しいです。若手研究者による寄稿やインタビュー記事も、先日公開した谷川嘉浩さんの寄稿記事に引き続き、ガンガン出していく予定です。
それから主に編集として関わっている「designing」も、リニューアルを機により一層事業拡大していて、何なら今年いちばん多く取材や編集の時間を割いたメディアかもしれない。編集部体制もこの1年でだいぶ拡充し、来年春には「Featured Projects」というリアルプロジェクトも開催予定。編集部メンバーや制作陣には常日頃大変お世話になっています。まだまだ至らない点ばかりですが、とても楽しいプロジェクト。
推し記事はたくさんあって紹介しきれないのですが、個人的には真夏の京都で取材し執筆も担当した、日本とイタリアの伝統文化を組み合わせるファッションブランド「renacnatta」を手がける大河内愛加さんへの取材記事は特に気に入っているので、もしよければ。
もちろんその他にも、編集/ライター問わず、楽しい制作機会をたくさんいただきました。こちらもいくつかピックアップしておきますので、チェックいただけると大変うれしいです。
今年は、研究とビジネスを往還するユニークな事業を手がけるMIMIGURIさんにもとてもお世話になって、いくつか連載を担当させていただきつつ、来年告知予定の大きめの弾も仕込み中なのでそちらも追ってお知らせします。
また、カオナビさんのオウンドメディア「うにくえ」でも、古田徹也さんへのインタビュー企画をはじめ、ずっとやりたかった企画をいくつも形にできてありがたいです。
それから個人的に印象に残っているのは、ご近所の書店を取材した以下の記事。担当編集も大学以来の友人で、なおかつかれこれ4年以上暮らしている白楽という街に少しだけ貢献できたような気がして、なかなかに感慨深かった。
最近だと、学生時代からの旧友たちがやっている会社の記事制作も任せていただくなど、今年は昔からの仲間たちといい仕事ができて嬉しかったです。(この記事はdesigningでも大活躍してくれている、同い年フォトグラファーの今井駿介さんの写真が特に好きなのでぜひ)
……というか、である調で書き始めたのに、仕事の話になった瞬間、無意識にですます調に切り替わっているから不思議だ。キリがないので仕事の話はこのくらいで。
それから仕事ではありませんが、フリーランス3人でさまざまなコンテンツや時事ネタを肴に、企業社会の歩き方を語り合う謎のPodcast番組も地道に更新してます。個人的にはけっこう面白い内容になっているとは思うのだけれど、ちょっと尺が長過ぎるという反省を最近はしていて、サクッと聴ける系のものを増やしているので、よければ家事や作業のお供にでもぜひ。
さて、つくったものの話ばかりしてしまったので、ここらで受け手目線の話に切り替える。
本はちょっと一冊一冊紹介するのは大変すぎるので、今年読んだ中でも特に印象に残ったものを、既刊新刊問わずいくつかピックしておきます。
・深澤直人『ふつう』
・鶴見俊輔『限界芸術論』
・梅棹忠夫『私の知的生産の技術』
・糸井のぞ、鎌塚亮『僕はメイクしてみることにした』
・谷頭和希『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』
・久保明教『「家庭料理」という戦場──暮らしはデザインできるか?』
・橋本倫史『水納島再訪』
・市川力、井庭崇『ジェネレーター──学びと活動の生成』
・柴崎祐二(編)『シティポップとは何か』
・寺尾紗穂『天使日記』
・津野海太郎『編集の提案』
・渡し舟『からむしを績む』
・ジョン・デューイ『経験としての芸術』
・西郷南海子『デューイと「生活としての芸術」──戦間期アメリカの教育哲学と実践』
・橋本倫史『ドライブイン探訪(文庫版)』
・大沢敏郎『生きなおす、ことば──書くことのちから──横浜 寿町から』
・高佐一慈『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』
・J・ラトナー゠ローゼンハーゲン『アメリカを作った思想』
・鈴木智彦『ヤクザときどきピアノ』
・ティム・インゴルド『メイキング』
・リチャード・セネット『クラフツマン──作ることは考えることである』
・赤木明登『名前のない道』
・森田亜紀『芸術の中動態──受容/制作の基層』
・永江朗『小さな出版社のつづけ方』
・稲田俊輔『キッチンが呼んでる』
・冬野梅子『まじめな会社員』
・青田麻未『環境を批評する──英米系環境美学の展開』
・谷川嘉浩『鶴見俊輔の言葉と倫理』
こうして見ると、洋書が少ない……。それから今年は、定期的にいわゆる古典と呼ばれるものを読む機会を作るようにしていて、特にデューイはいろいろと読んだ。
それから、今年はテレビドラマの当たり年と言って差し支えないだろう。直近だと『エルピス』や『silent』、それから再び坂元裕二の新作『初恋の悪魔』など話題作や注目作も多く、とても楽しい一年だったが、何よりドハマリしたのは『鎌倉殿の13人』だ。
三谷幸喜の最高傑作との呼び声の高いこの一線級のエンターテイメントに、見事に射抜かれてしまい、毎週2回は繰り返し見ていた。これについてはいろいろな批評が出ていると思うので、いまさら僕が言葉を重ねるのも野暮だとは思うが、とにかく「エンターテイメント」としてのクオリティがとてつもなく高かったように感じた。一言でいえば、『ゴッドファーザー』や『スターウォーズ3』のような「闇落ち」モノなのだが、大河ドラマという膨大な尺を使い、人間の多面性と愛らしさを、これ以上にないかたちで描き出す。これぞ群像劇。鎌倉殿については、ある程度まとまった感想を書きたいと思っているのでここではこのくらいにしておく(と宣言することで外部強制力をつくる)が、とにかく今年いちばん楽しませてもらった作品。エンターテイメントの真骨頂。いまはとにかくロス対策で、過去の三谷作品や、類似作品を漁ることでなんとか気を紛らわせているが、たくさん語りたいし、もっと観られてほしいと心から思っている(から、年明けたらレビュー記事を書こう)。今年は配信や映画もいつもどおりくらいには観て、ビートルズの『ゲット・バック』のように気に入った作品や、三宅唱『ケイコ目を澄ませて』のように素晴らしいクオリティの作品にも出会えたのだけれど、とにかく鎌倉殿の威力が強すぎて印象が薄れてしまった。
音楽はいつもと変わらずという感じで、相変わらずカネコアヤノ大先生へのコミットを続けつつ(なんだかんだ今年も毎月のようにライブに行っていました)、いくつかほかのライブにも行った。そういえば、オザケンの2年越しのライブでなぜかめちゃくちゃ号泣してしまった。いくつか簡単に文章にもしたので、それを残しておく。というか、そろそろ5000字に達してきて、気力が限界に近づいているので許してください。あとなぜか寺尾紗穂をよく聴いた、わらべうたのカバーもよいです。
というか、都度都度文章にしておくと、一年の振り返りがとてもラクになるということに気がついてしまった。そういえば今年は、(もう空中分解してしまったのですがw)知人たちと月イチのエッセイ活動(更新できなかった人が、更新できた人に奢るというルール)などもしていたので、よろしければご笑覧ください。地味に15記事も溜まっていた。
……まぁ、こんなところでしょうか。プライベートでも、今年は近い所での訃報がいくつか重なったりと、否応なく人生というものを考えさせられる機会がいくつもありました。そしてあえて触れませんでしたが、今年は国内外で、歴史の教科書に載るレベルの大変な出来事がたくさんありました。それらに関しても個人的に思う所はありますし、間接的にであれ関係はしていることは事実です。ただ、それでも個人的につくったり触れたりして、心動かされることを手放してはいけないと思い、あえて個人的な話だけを綴りました(それでも否応なく、社会性というものはにじみ出てしまうと思うのですが)。
個人的な話とはいえ、一人で完結しているものは、もちろんありません。何かをつくるという営みはもちろんのこと、読む、観る、聴くという行為にも、関わってきたあらゆる人たちの影響が強く滲み出ていると、あらためて感じます。
本年もたくさんの方々にお世話になり、本当にありがとうございました。来年も何とか足掻いてみようと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。