おととい、宇治の朝日焼をたずねた記事を更新したが、今回の京都行ではもう一箇所、河井寛次郎記念館にも立ち寄った。
これで、今年の目標である「工芸ゆかりの地を10ヶ所たずねる」のうち2ヶ所は達成したことになる。京都内で別カウントはズルい気もするが、宇治とは完全に別エリアだし、そもそも京都のような工芸パラダイスにはゆかりの地も密集しているので、これはアリとしたい。
さて、午前に宇治をたずねた日の昼。また在来線に30分ほど揺られて北上し、京都駅のほうに戻る。少しだけバスに乗る。京都駅付近の移動では、バスを使いまくっている気がする。そうして東山方面に北上し、フルーツサンドで有名な市川屋珈琲(おととし一度たずねたが、お腹が空いていなかったので、珈琲だけにした)を横目に少し路地に入ると、河井寛次郎記念館に到着する。
河井寛次郎といえば、言うまでもなく民藝運動の重要人物の一人。駒場の日本民藝館はたまに訪れるのだけれど、こちらは初めて。ちょっと前に、横浜の自宅近くの、やたらと民藝関連の書籍が揃う古本屋で、河井寛次郎のエッセイ集?である『六十年前の今』を薦められて購入したが、その内容も思い出しつつ、門をくぐる。
入ると、さすがに平日お昼時ということもあり、他に客は数名いる程度。そして、靴を脱いでスリッパで上がる方式。駒場の民藝館も元々そうだったが、いまはコロナ対策で靴にビニールカバーをかぶせる方式になっているため、こちらではスリッパで入れるのが嬉しい。まさに、人の家をたずねているような感覚。
入場料を支払おうとすると、なんとたまたま開館50周年の日だったみたいで、おまけをいただいて嬉しくなる。『六十年前の今』ならぬ、『五十年前の今』。
館内は、基本的にはいわゆる古民家的なやつだ。聞くと、もともと昭和期?に島根出身の河井が30前後で越してきて、以降終生暮らし、創作してきた家を、そのまま記念館にしたとのこと。そんなわけで、いわゆる美術館っぽい感じはほとんどなく、暮らしぶりが思い起こされる家のような場所が多い。囲炉裏や縁側、書斎や窓際など、来館者用に置いてある椅子にすわってぼーっとしていると、なんだか穏やかな気持ちになってくる。ここには年パス制度もあるそうなのだが、たしかに近くに住んでいたら年パスを手に入れて、疲れたときにぼーっとしに来たくなるだろう。
もちろん、河井の作品が飾られたギャラリーっぽい雰囲気のスペースも。インテリアとして置かれていたものも含め、特に気に入ったものを貼っておく。
そして何より、実際に河井が焼き物をしていた窯が壮観。本当に生活スペースのすぐ横にあって、暮らしと器づくりが密接に絡み合っていたのだと物理的に伝わってくる。
こんな感じで、もともと河井の家だったこともあり、駒場の民藝館と比べても、かなり暮らしぶりが目に浮かんでくる素敵な場所だった。疲れたときに立ち寄りたくなる。
最後に、館内でくつろいでいた住民の写真を。本当に気持ちよさそうだった。