Masaki Koike's blog

執筆や編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

中庭

ここ数週間、佳境を迎えていた書籍プロジェクトが、全然まだ校了とかではないんだけれど、ようやくある程度目処が見えてきて、ふと少し余裕のある期間が生成された。余裕が生まれた途端、なにか仕事ではないものを自主的につくりたいな、という気持ちが生まれてくるから不思議だ。とはいえ、流石に疲れている。今日、いくつか行きたかったイベントや展示があったのだけれど、都内に出て行く気力がどうしても出ず、MP的に限界を迎えたので、断念した。代わりに、ではないけれど、かなりメンタルが黄信号だったのでひとまず外に出て、近所のコーヒースタンドに併設されている中庭スペースで、エチオピアを飲みながら、本当に久しぶりにぼーっとしていたら、少し回復した気がする。でも同時に、どんなに仕事が充実していても、プライベートや生活の不安定さがある限り、根本的にはしんどい状態にあるのだなということもなぜか再認識。それから昨日ふと、これからどんなに頑張ったり、幸運に恵まれたりしても、20代の時間は永遠に戻ってこないのだなということに気づき、絶望的な気分になった。自分が30代になったことはすっかり受け入れているし、そこに対するネガティブな感情は特にないのだけれど、失われた20代の不可逆性にあらためておののく。具体的に20代に何をしておけばよかったとか、そういうことがあるわけではないのだけれど。最近、仕事の関係もありベルクソンの時間論を勉強しているのだけれど、そもそも年齢なんて、本来は相対的で多様なものであるはずの時間を、便宜上空間的メタファーに押し込んだだけのもので、本質的には虚構であることは実感としてもよくわかる。でも、その虚構にすがってしまうのもまた人間だし、そこにある種の情緒性も見出してしまう。でも、『こっちを向いてよ向井くん』で波瑠演じる酒井土さんが言っていたように、30代の予想外のままならなさを、楽しんでいくしかない。

属人性のこと

属人性のある仕事がかなり好きな気がする。よくビジネスの世界なんかで、とにかく属人性を排することが称揚される。でもいうまでもなく、それは言い換えれば代替可能で、誰がやっても同じ仕事でもある。しかし、本来的にはどんな単純作業であっても、本質的にアナログな存在である人間がやる以上、代替不可能であるし、何かしらの個性が宿る。自分はそういう、否応なしに漏れ出てしまう属人性のようなものがグッとくるし、そういう仕事が好きだ。これは「◯◯っぽい仕事」とは似て非なるもので、狙ってできるようなものではなく、結果的に漏れ出てしまうものなのではないかと思う。もちろん、属人性を担保する余裕を生み出すために、ある面では属人性を排すべきという発想は理解できるが、属人性を排することが目的化したとき、こんなにつまらないことはない。

インフル明け

先週の日曜夜から、インフルでふせっていた。下手したら10年ぶり近いかもしれない久しぶりのインフル、予想以上にキツかった。40度前後の高熱はもちろん、タミフルを飲んで熱が下がっても、今度はタミフルの副作用か吐き気や頭痛でまたキツイ。結局、超繁忙期にもかかわらず、月〜水あたりはほとんど仕事ができず。なんとか木曜あたりから持ち直して仕事を再開し、今日から謹慎も解けて社会復帰。久しぶりの外界の空気はおいしかった。1週間ぶりの外出とはいえ、仕事はたまっているので、ひとまず昼過ぎに近所のもはや半分書斎と貸しているブックカフェはるやへ。店主夫妻といつも通りとりとめのない話をしながら、にゅうめんをいただいた後、コーヒーを飲んで黙々と仕事。夕方頃には少し落ち着き、ボールパスの関係で少し待ち時間になったため、ジャックベティに行って、駆け込みでアステロイドシティを観る。アンダーソンの作品は相変わらず難解だが、今作はわりとジャーナリスティックでなんとなく意図は伝わってきた気がした。ジャックベティ付近の伊勢佐木町のケの空気、行くたびにしみじみする。終わるともう19時。メールやメッセージをチェックしても対応案件は入っていなかったので、飲んで帰ろうか一瞬迷ったが、病み上がりで迷ったので、横浜駅地下の東急ストアで買い物をして帰宅。合間合間で、時間の哲学についての新書に一冊目を通す。最近、嗜好品のメディアに関わっているのと、ベルクソンに関する企画を進めていることもあり、人生で一番しっかりと時間の哲学に向き合っているが、やはりこの領域は沼。でも、思弁的な問題に見えて、結局は多分に実存的な問題な気がして、だからこそ多くの人が惹かれるのだろう。帰宅後は、1週間ぶりに缶ビールを空けながら、いつものリュウジレシピのキムチチゲをつくり、昨夜の『何食べ』と『すべて忘れてしまうから』を観る。こういう時間の幸福度がなんだかんだ上位。そして、ダメ元でアシスタント的な方にお願いしたリサーチ仕事の精度が高すぎて感動。こっちが刺激をもらっている。さて、明日も頑張ろう。

九谷

ここ最近、かなり忙しくて、疲れている。こんなことばかり書いている気がするが、不思議なことにそういうときのほうが、何かたまった膿みを吐き出すようにブログを書き殴りたくなる。スケジュールがふわふわとしていた大きめのプロジェクトが一気に動き出し、しかも明確に期限がある紙媒体の編集で、いつもあまり使わない神経や労力を使いながら、日々もがいている。そんな状況下、出張が入ったりもして体調がバグりかけたが、なんとか持ち直してきた。でもMPはかなり毎日ギリギリの戦いをしていて、今日も朝7時頃からぶっ続けで自宅作業し、19時半ごろに限界になって切り上げ、常備してある金麦を飲みながらキャベツとしめじともやしの味噌汁、生姜焼きを作って、栗山千明の演技を見たいがためだけに見始めたしょうもないドラマを見ながら食べ、食後もブナハーブンを片手に、机というかもはや床に積み上げられた数えきれない積読の山の中から適当に、頭を空っぽにしても読めそうな、牧野富太郎のムックと横浜の市民酒場のムックを眺めるもいまいち乗り切れず、体力もMPも回復しないので諦めてお風呂に入り、そしたら意外にお風呂上がりに当たった夜風が今日一日で最も強い快楽を与えてくれて、少しブログでも書こうかという気分になったので、スマホでだらだらと書く。

 

 

というのも、先週、金沢出張のついでに、工芸産地ツアーの一環で九谷に寄ってきたので、なんとかその記録だけでも書かねばと。とはいえちょっとさすがに疲れているので、最低限の記録だけ。

 

金沢には、取材ではなく、ちょっとした農作業仕事で行った。5年ぶり3回目くらいかな。今年から関わっている嗜好品のメディアでは、お茶を中心にさまざまな素材開発もしていて、その一貫で今年はなぜか定期的にこういう仕事がある。今回はとあるハーブ農園で植え付け作業。ただ、ちょうど涼しい時期、かつ7月にやった徳島の阿波晩茶づくりがキツすぎて、それに比べると全然ゆとりがあり、終始和やかな気持ちで終える。畑で食べた生ハーブやシソの葉に感銘を受ける。帰りしなに同行者で、金沢駅付近で、パフェのような海鮮丼。美味しかったけれど、選択肢の分岐が多すぎて疲れた。そうして体力も限界がきて、その日は何もせずそのままホテルで寝る。いつもこういうときはビジホに泊まるのだけど、ふと思い立って、大浴場つきのカプセルホテルに泊まってみる。確かに安いし、閉鎖空間自体は嫌いじゃないのだが、トイレや洗面に立つのにいちいちカードキーが必要だったり、離れていたりするのがかなり面倒だった。その意味ではゲストハウスのドミトリーとかのほうがまだラクだったかも。やはりどんな狭くても一部屋で完結するビジホにするべきと学ぶ。そして寝る前に翌朝のカーシェアを抑えようとしたら、近隣すへてで払っていて絶望。こんなの初めてだ、平日なのに。費用はかさむが仕方なくレンタカーに方針変更するもやはり駄目。諦めて、昼過ぎまでだけならカーシェアが一台だけ空いていたので、そこを押さえる。夕方までゆっくり九谷をまわる予定が、見事に狂う。

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翌朝、自分と同じく後泊していたライターさんと急遽モーニングすることになり、人気のパン屋兼喫茶店へ。開店凸するも並んでいて、しかもなんだかんだ話し始めたら楽しくなってたくさん喋ってしまい、10時過ぎに金沢を出る。1時間近くかけて九谷に行き、まずは九谷焼美術館でなんとなく触りを掴む。前田家の宮廷工芸として栄えた九谷焼。幼き頃、前田家をきっかけに歴史にハマった過去があるので、ふしぎな縁を感じる。九谷の青手に惹かれる。

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とはいえとにかく時間がなく、駆け足で見て次の目的地、九谷焼窯跡展示館へ。九谷だからこそ、はあまりなかった気もするが、やはり窯はテンションが上がる、シンプルに。

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そうこうしているうちに、タイムオーバー。今回は直後に別の利用者がいるので、カーシェアの延長はできない。車を飛ばして金沢に戻り、1330前には返却。そして今回の目当ての一つだったが、窯が臨時休業だった、上出長右衛門窯の金沢駅近くの旗艦店へ。そうしたら偶然、モーニングをご一緒したライターさんに再会して驚く。そしてやはり良いものが多く、豆皿と盃を買ってしまう。金沢のこの小川沿いのエリア、京都の高瀬川沿いのような趣がある。

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まだ時間が早かったので、鈴木大拙館にでも寄ろうかと思ったが、朝からタイムアタックをしていたら疲労困憊になったので、帰ることに。駅までの道すがら、初めは前に食べて感動した郷土料理の治部煮でも食べて帰ろうかと思ったが、道端で見かけたスパイスカレーとウィスキーの店に衝動的に吸い込まれる。ボウモアソーダ割りに安心感を覚えながらスパイスカレーをかき込む。駅に戻り、新幹線まで一時間ほど余裕があったので、タリーズで仕事。完全に日常に戻る。

 

 

九谷は工芸に関心を持ったきっかけの一つだったので、個人的に思い入れもあるのだが、今回はバタバタしてしまった。また改めてじっくり見に来たい。ただ改めて、西陣織や九谷焼のような貴族的工芸への関心はあまりないのではないかと再認識。むしろ、男鹿で見たなまはげのような、もはや工芸とも呼べないような、土着のクリエイティビティのほうが面白いなとも思う。でも一方で、宇治の朝日焼しかり、青がベースの釉薬が塗られた器に惹かれるということを再確認し、その感覚は大切に育てていきたいとも思う。

 

書き殴ってたら、なんか回復してきた。ほんと不思議。ひとまず今日は寝よう。最後に、今回、上出長右衛門窯で買ってうちの仲間になったものたちを。もうちゃんと撮る気力がなく、いま適当にスマホで撮ったものだけれど、惚れ惚れする。買ってよかった。

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男鹿、なまはげ

かなり前回から時間が空いてしまった。というのも、6末に友人のご厚意で、原発や帰宅困難地域の視察をメインとした福島の小旅行へと行って、そこの記録をしっかりと残しておこうと思って書きかけたものの、思いのほか筆が進みすぎて一向に書き終わる気配が見えず、とはいえ仕事もバタバタしていたので塩漬け状態で、その記事を仕上げないことには新たなブログを書こうという気にならなかった。

 

が、一旦諦めた。福島のことはまたいつか、機会があれば書くことにしよう。いまは書いて出す時期じゃなかった、ということで熟成させる。

 

そんなこんなで、7,8月も仕事に追われつつもありがたいことに色々な場所に行き、色々な人と話し、グルグルと揺さぶられ続けてきたのだけど、ちょっとそれを書いていたらまた停滞しそうなのでやめておく。一つあるとしたら、仕事で徳島にお茶摘みとその加工をしに行ったのが最大の夏の思い出、ということだろうか。

 

そして先週は、仕事で秋田へ。昨年春もプライベートで行ったので、なぜか連年。今回は秋田駅付近で仕事があったので、ついでに一泊し、男鹿のなまはげ周りを見てきた。「工芸の産地」と言っていいのかは微妙な気がしつつ、これもカウントすることにする。

 

とはいえ、いまあまり気乗りしないので、最低限の文章と写真だけ。

 

まずは秋田駅付近の街並み。秋田一の歓楽街、川反のあたりはその名の通り川沿いで、意外にも川のイメージが強い。とはいえ鴨川のような雄大な川ではなく、横浜の大岡川に近い気がする。

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そして男鹿へ。だいたい車で1時間くらい。運転していたので撮れなかったが、風力発電エリアが異界に迷い込んだような異様な雰囲気。ここ本当に魔界感がすごいからぜひ行ってみてほしい。

風力発電1000基に向けて第1弾が稼働―秋田県・男鹿市の沿岸部にある県有地に― | 自然エネルギー財団

 

めまぐるしく変わる山の天気をなんとか超え、ひとまず、男鹿の最果ての入道崎へ。対岸はウラジオストック

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入道崎のドライブイン。棚の中にはなまはげ

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そして引き返し、なまはげ館と、前日に仕事先で教えてもらった真山神社山岳信仰なまはげが一体であることを体感する。そしてなまはげ実演も見たけど、思ったより世間話していて人間らしい。秋田の各集落にある多様ななまはげor人形道祖神、これはまさに民衆的工藝そのものであり、「つくるのではなく生まれる」そのものであると感じた。民藝ではなく民俗学の領域であろうが、柳や河井はこうした「つくる」に対しては何か言及しているのだろうか。

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そして秋田駅に戻る途中、「稲とアガベ」や「ブルーホール」など、ところどころ生まれ始めている新たなムーブメントにも触れる。稲とアガベは、休みの日にもかかわらずお酒を売ってくれた。

 

なまはげ文化の深淵さ、新たに生まれる文化の胎動、そのミックスが男鹿の面白いところだと感じた。今回、仕事でたずねた石倉敏明さんが、ダージリンの山奥と東北の山岳に同じように惹かれた気持ちが、ほんの少しわかった気がする。ちょうど昨日、別件で民藝と民俗学・民具の対立について少し話を聞いたのだけれど、あらためてそういう視野をもって工芸を勉強していきたいと思った。

対談「なまはげ文化人類学」石倉敏明×井野英隆【前編】 | なんも大学

 

 

 

京丹後、丹後ちりめん

ここ最近、本当に仕事に追われていて、文章を書いてストレス発散ということすらまともにできていない。仕事のエネルギーが尽きたところで、お酒や鑑賞でストレスを解消し、また翌日仕事……というサイクルにおぼれてしまっていて、やりたいことはあるのだけれどあまりまともにできていない。一日休みなんてまったく取れていない。という状況で、精神・身体の疲労が限界に来てしまったので、今日の午後は休むことにした。マッサージにでも行こうか迷っていたが、たまっていた家事をして、堀内果樹園の梅仕事キットで梅酒を仕込むなどしていたら、だんだんと回復してきた。というわけで、先週、京都出張のついでにねじこんだ京丹後への工芸旅を簡単にまとめておく。ちなみに最近、いつもお世話になっている尊敬すべきフォトグラファーさんを贅沢にも付き合ってもらってついに一眼を購入し、今年の目標の一つであった「カメラを始める」を達成。とにかく毎日の隙間が楽しいのだが、その生活の変化はまたの機会に。とにかく今回の京丹後の写真は、そうしてパートナーとなったニコンのZ-fcに収めたものだ。

 

雨が降ったり止んだりの梅雨の朝、五条のホテルで目覚め、大浴場で目を覚ました後、近くで抑えていたカーシェアのステーションへ。京丹後へと向かう。

 

京都縦貫道をひたすた北上。途中からかなり雨が強くなり、山中であることもあり心細くなる。空腹ゆえ眠気もしそうで怖かった。途中のPAではこんな感じの悪天。

 

しかし、1〜2時間走った縦貫道を抜けて、若狭湾内の宮津港に来ると雨もやみはじめ、空腹も限界だったので漁港の朝食。ケの日の漁港の朝(と言っても10時近かったが)がしみじみと気持ちよい。刺身定食も素晴らしかった。



 







 

ちなみに今回のパートナー。



 

そうしてエネルギーをチャージしたら、山の中に20〜30分ほど車を走らせ、第一のお目当てである丹後ちりめん歴史館へ。海の京都から、山の京都へ。





 

月曜朝だからか他に来客もおらず、閑散とする館内で一通り丹後ちりめんの歴史を学ぶ。シボはやはり美しい。ただ、直近で行ったのが西陣だったからか、既視感のある風景が多かった気もする。

 

あっさりと記念館を見終えて、今度はちりめん街道へ。ここが平日というのもあり完全に観光客もおらず、自然と歴史、暮らしの溶け合うとても美しく、気持ちのいい場所だった。祖父の出身地である西伊豆を思い出す。ゆったりとした時間。小学校のチャイムが鳴り響く。そして静かな街の中で、時折鳴り響く機織り機の音。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなケの丹後を味わいつつも、唯一の(?)観光施設である、地元の名士(もちろんちりめんもやっていた)尾藤家の邸宅へ。例によって他に客はいなかったが、意外にも(?)スタッフは20代くらいの女性で、「人が多いところが苦手なのでずっとここにいるんです」と言っていた。和館も洋館もあり、相当な富豪だったことが想像されるが、見学というより完全にのんびりする。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、再び街を歩く。ほんとうに、ほんとうに静かだった。ちりめん発祥の地という碑も。

 

そんなこんなで、往復で5時間ほどかけ、滞在はおよそ1〜2時間という京丹後訪問は終了。その日のうちには横浜に戻らなければならなかったので、夕方には京都市内に戻った。京丹後、最近少し移住者なども増えているらしいが、気持ちはわかる気がする。京都市内とは完全に違う時間軸が流れている感覚。今度は1〜2泊しながら、海辺をもう少し散策したりゆっくり本を読んだりして、過ごしてみたくなった。西陣と丹後ちりめんの違いも、こうした土地の違いに根ざしているものが大きいのかもしれない。

ニュータウンと不可分な“東京の田舎”について。多摩ニュータウン散策の記録

先日、半日ほどかけて多摩ニュータウンを散策してきたので、備忘録として、フィールドノート的にその記録を。

 

多摩ニュータウンといえば、言うまでもなく、日本でも最大級のニュータウンの一つ。1960年代〜70年代頃に山々を切り拓いて造成し、最近50周年を迎え、ぽつぽつと現役世代の“Uターン”や”移住”事例も現れてきているという。

www.toshishuppan.co.jp

 

自分は多摩ニュータウンよりさらに10年近く新しい川崎北部のニュータウンの出身で、ニュータウンや郊外的なものには、実存的な問題として強い関心を抱いてきた。その環状については、以前noteにまとめたこともある。

note.com

 

僕の地元は多摩ニュータウンも地理的にかなり近く、小田急沿線ゆえにアクセスもよかったのだが、ほとんど行ったことがなかった。保育園や小学校のときは、動物園といえば「多摩動物公園」という多摩ニュータウン近郊の場所で、何回も何回も訪れていたし、多摩ニュータウンが誇るエンタメ施設であるサンリオピューロランドにも小さい頃に何度か訪れたものの、車やバスでテレポーテーション的に移動することがほとんどで、ひとまとまりの地域として多摩ニュータウンを訪れた記憶はほとんどなかった。

しかし、先に触れたようにここ最近新たな動きが生まれているという噂を聞いて気になっていたのと、そもそも多摩ニュータウンは郊外研究においては非常に多くの蓄積のある地域で、自分も色々と読んだりはしていたのだけれど、いつかしっかりこの目で見なければと思いつつその機会を作れていなかったのもあり、ついに実行した。ちなみに、多摩ニュータウン関連の書籍だと以下のあたりが気に入っている。

www.seikyusha.co.jp

www.nhk-book.co.jp

 

……というわけで、かねてより川崎や郊外についての私的勉強会をしている仲間と一緒に、その人が紹介してくれた、盆踊りや民謡などに造詣が深い一方でここ最近多摩ニュータウンに引っ越されたという物書きの先輩にアテンドしていただき、念願の多摩ニュータウン探訪に出かけてきた。

 

自宅のある横浜から、横浜線京王線を乗り継ぎ、約1時間ちょっと。前日に降っていた強めの雨もほぼほぼあがった土曜の朝10時半に多摩センター駅に集合すると、とにかく小田急も京王もハローキティ推しの空間デザイン。また熱烈なサンリオファンと覚しき人びともちらほら。

そんな中で、駅前のモールへ。とにかく巨大で、一部ハウステンボスさながらの雰囲気でいきなり異界感。大量のチェーン店の看板。奥に堂々と君臨しているのは、サンリオピューロランド

 

最初に向かったのは、多摩ニュータウン随一の文化施設パルテノン多摩」。Wikipediaによると、「東京都多摩市にある多摩市立の文化施設の愛称である。正式名称は多摩市立複合文化施設」「多摩ニュータウン・多摩センターのシンボル的な施設」「本格的な多目的ホール等があり著名な芸術家やミュージシャン、劇団などが招かれる。また、市民自身の発表の場としての利用も多い」とのこと。たしかに、駅からの大通りの最後部に鎮座するその雰囲気は壮観で、ラスボスが待っている神殿のような雰囲気。

 

中に入ってまず、常設展で多摩ニュータウンの来し方を学ぶ。何でも、もともとは明治天皇の御猟場になっていたのだとか。それ以前の時期の民具なども陳列されており、ニュータウン前史を体感。でもやはりとりわけ印象に残ったのは、開発前後の変化が視覚的にわかるジオラマ。40年経たずにここまで変わるのは、やはり凄まじいのだと、感覚的に伝わってくる。

 

そうしてイメージをインプットしたうえで、ランドマークたるベネッセ本社を横目に、緑化地帯を通り抜ける。神社と風俗店、そしてセレモニーホールが隣り合う地帯も目にし、生の本質を感じる(というより、ニュータウンに風俗店があることに驚き)。

 

そんなこんなで駅前のエリアを抜けると、いよいよ団地エリア。まず、居住エリアが小高い丘の上になっていて、けっこうきつめの階段を登らないとたどり着けないことに驚く。スロープは併設されていはいるものの、おそらく大きな割合を占めるであろう高齢者にとって、この勾配はなかなかきついのではないだろうか。とはいえ、その勾配の中──言ってしまえば“城壁“の中は、自分の地元付近や、親の地元である団地にも近い光景で、初めてきたはずなのに、懐かしさを感じる。これは「標準設計」によって規格化されている団地のなせる業だろう。

 

多摩ニュータウンにはとにかく橋が多い。エリアごとに橋が渡されていて、その下には川のように道路が通る。案内人の方は「島のようだ」とおっしゃっていたけれど、たしかに人工諸島といった趣。

 

団地内の小学校を通り、ここで生まれ育つ子たちに思いを馳せる。自分の地元ではすでに小学校の統廃合が進んでいるが、このあたりはどうなのだろうか。

 

そしてスーパーやちょっとした商店街のあるエリアに差し掛かると、たまたま近所の東京都立大学(たしか)とコラボしたイベントをやっているみたいで、若い人たちでごった返している。普段は人もまばらなエリアとのことだが、この盛り上がりには驚かされた。ハンドクラフト系の出店はもちろん、都市研究系の研究室とコラボして、ワークショップ的要素も兼ね備えた出店もちらほらと。大学とコラボした町おこしというのは、否応なしに外から若者たちがたくさん訪れる機会になるので、ベタだけれどやはり強いなと感じる。スタジオメガネというニュータウン内の建築事務所や、いけてる雰囲気の古着屋も活況だ。

 

途中、渋めのスーパーにも入ってみる。安いは安いが激安というレベルではなく、いま自分が住んでいる横浜と同等か、少し高いくらいの相場感。

 

そうしてしばしの喧騒を離れ、再びケの空間へ。

 

そして今回ぜひ目にしたかったエリアのひとつである、「タウンハウス」という戸建て風の集合住宅エリアに入ると、一気に雰囲気が変わる。祭りの喧騒とのギャップもあってか、異様に静かで、生活感がない。洗濯物がほとんど干されていないのもあるのかもしれない。ハイグレードエリアといった趣で洗練されているのだけれど、団地エリアとの違いで、一気に異界に紛れ込んでしまったかのようだ。千と千尋の神隠しを思い出す。


頑丈にプロテクトされたブランコから、ニュータウンの管理性を読み取ってしまうのは、あまりに恣意的すぎるだろうか。

 

タウンハウスを抜け、また団地エリアに入ると、少し安心する。それくらい、タウンハウスの雰囲気は自分には異様だった。今まで触れたことのないタイプの集合住宅だったからだ。

 

そして、次はまた独特なエリアに。1階に自由に使えるスペースがついていて、ここで習い事教室や小売店などの小商いを営むこうとが想定された棟。正直に言って、お世辞にも小商いが賑わっているとはいえず、使われていないスペースのほうが多かったものの、それでもポツポツ稼働している気配が。

 

そんなこんなで団地エリアも終わり、次の目的地である、開発前の原風景が残るエリアへと向かう。途中、太陽の塔のデジタル版のような建物も。

 

そうして団地エリアから歩くこと10分も経たず、一気に山間部にたどり着く。新選組が通ったとも言われる切り通しから、険しい山道まで、まるで奥多摩にでも来たような気分。目と鼻と先に、あの整備されたニュータウン空間が広がっていることが信じられない。開発エリアと山間エリアのこの急激な落差こそ、ニュータウンの面白さなのかもしれない。

 

山間部を30分ほど歩いて抜けると、小野路というもともと宿場だったというエリアに。一気に、地方都市感が増す。いまにも道の駅が登場しそうな風景。ニュータウンはどこへやら。ハイキング目当ての観光客の姿もちらほらと。

 

そしてさらに歩くと、今日のゴール地点である、谷戸へ。三浦の小網代の森を思い出す。ニュータウンエリアから徒歩30分ほどで、こんな景色に出会えるとは思ってもいなかった。完全に、里山。でもたしかに、実家近くの町田エリアは、意外にこういう里山風景がたくさん連なっているのを思い出す。東京の西側から川崎にかけて共通する原風景なのかもしれない。

 

……というわけで、約3〜4時間にわたる多摩ニュータウン行脚は終わり。15000歩ほど歩いてさすがに疲れたので、帰りは多摩センター駅までバスで帰った。

 

書き忘れていた、かつ写真も撮り忘れていたのだけれど、途中で昼食をとった団地内の、おそらく開発当初からあるであろう、家族経営の老舗町中華がとてもよかった。安くておいしいのはもちろん、本当に文字通り「肩肘張らない」雰囲気で、小商い店舗が地域コミュニティ形成において果たす役割の大きさがひしひしと伝わってくる。

 

多摩ニュータウンを歩いてみた感想としては、なんとなくだけれど、地元の新百合ヶ丘付近というよりは、地元の隣町である鶴川・町田エリアとの連続性をより強く感じた。めちゃくちゃローカルな話をすると、こどもの国あたりの里山風景とかなり近いものを感じる。実際、距離的にも近いとは思うが。

 

こういう、なんというか“東京の田舎”というものは、よく語られる二項対立的な「都心vs地方」の図式ではこぼれ落ちてしまう論点だけれども、これからいっそう東京一極集中が進む機運のあるいま、あらためて目を向けることには意味があるのではないかと感じる。

多摩ニュータウンは、もちろん“平坦なニュータウン”のひとつの極例であることは間違いないだろうが、その見方だけだとかなり表面的であり、その深層にある“東京の田舎”もあわせて考えると、より深みが増す。

 

というか当たり前だが、あらゆるニュータウンには、開発前には“田舎”的風景が広がっていたはずであり、その残滓はどうしたって残ってしまう。冒頭でも触れた『ニュータウンの社会史』では、「古層」と「新層」から成るニュータウンの歴史における「断絶」と「継承」の併存について触れられていたが、多摩ニュータウンを歩いて感じた、ニュータウン地域から里山地域への劇的な落差は、その両義性を否応なしに感じさせられるものだった。