Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

『自炊者になるための26週』実践編:第5週 基礎調味料

毎週これを書くという縛りがあるせいで、少なくとも週イチはブログを書くことになり、結果的に近況報告みたいな感じになっている。いつもだいたい夜に疲労困憊の中、無理やりお酒を飲みながら書いているのだけれど、今日はめずらしく、昼間に更新。自営業とはいえ、やはり休日は相対的に落ち着き気味。連絡があまりこないだけでも心に余裕が生まれる。今週は打ち合わせや人に会ったりが多めだった。いま関わっているプロジェクトについても、また自分が今後動かしていきたいプロジェクトについても、とても大事な話をする機会が何度かあり、暇にはなっていないのだけれど、ふつふつと気力が湧いてくる。一方で、自分の根本的な力不足を感じるシーンもありかなりへこんだけれど。あと、楽しみにしていた三宅唱新作『夜明けのすべて』、流石としか言いようのない出来だった。さまざまな人が観に来るシネコン作品として、きわめて「映画」的な映画が成立していて本当にすごい。「音」の表現では前作や前前作のほうが好きな気がしつつ、構図や演技などが今回は本当にすごすぎて、総合すると三宅作品で一番好きかもしれない。もう一度みにいきたい。

 

さて、というわけで第5週。今回は「基礎調味料」ということで、第4週までは考えてきた「風味とは何か」の理論をもとに、今週からより実践編に入っていくとのこと。で、今回はめちゃシンプルで、風味の魅力を最大限引き出すために、ベースとなる基礎調味料には一定コストをかけるべき、ということ。調味料に”まで“こだわろうというスパルタ系というより、むしろ調理技術の不足を補うためにも調味料”には”こだわろう、といった趣旨の論旨だと受け取った。

 

味噌、バター、オリーブオイル、料理酒、醤油、塩、などいろいろな事例が出てきていたけれど、自分はいまどうだろうか。醤油とオリーブオイルに関しては、単に小豆島が好きだからという理由で、毎年ふるさと納税の返礼品の小豆島産のちょっと良いものを使っているが、正直スーパーで買うものとの違いが実感しきれていないかもしれない。関係ないけど小豆島行きたい。3月上旬に色々落ち着いたら、3月後半で数日バカンスに行こうかな・・・いや、強い意志を持って行こう。小豆島、実は一度しか訪れたことがないのだけれど、その一度でめちゃくちゃ感動し、でもだからこそハードルがあがり続けて、結局10年近く2度めに行けていない。でも、そろそろいい加減その呪いからも解き放たれたい。話がそれた。で、あと塩はふだんはスーパーの安いやつなのだけれど、いまたまたま、知人からお土産でもらった島原のちょっといい塩がある。やや大ぶりゆえにあまりまだ使えていないのだけれど、これは今後活用していったもいいのかも。味噌、バター、料理酒あたりは、基本的にスーパーで買えるものしか使っていない。

 

というわけで今回は、ちょっといい味噌を買ってみた。第3週のときも書いたように、自分は自炊の中でも味噌汁が最も頻度が高いので、ここにメスを入れるとけっこう大きく変わるのではないか、というボリュームゾーン的発想。

masakik512.hatenablog.com

 

中川政七商店で、500g800円の麦味噌を買い、今週は二回ほどつくってみた。一度目は、できるだけ味噌の風味をそのまま味わえるよう、乾燥わかめと豆腐とネギのみのシンプルな味噌汁。たしかにふだんの味噌とは全然違う。美味しい、が、ちょっと強すぎて疲れてしまいそうだし、素材の味も消えてしまわないか不安になる。二度目は、いつものように具だくさんの味噌汁。安くなってた牡蠣、ほうれん草、油揚げ、豆腐、小ねぎ。たしかに美味しいし、一度目よりもしみじみする。普通に、この味噌の味に慣れてきたのだと思う。正直、味噌を変えたがゆえの風味の味わいが体感できるまでは行かなかったが、味噌の影響力の大きさは体感出来た気がする。当たり前だが、味噌汁は使っている味噌の味に大きく全体の味が左右されるため、味噌汁ヘビークッカーの自分としては、味噌の味=ケの味となる。これは慎重に選ばなければいけないな、と痛感。この麦味噌がなくなっても、しばらくは色々試してみたい。

www.nakagawa-masashichi.jp

 

 

『自炊者になるための26週』実践編:第4週 セブンにもサイゼリヤにもない風味

一面の雪景色となったこの二日。幸い、外アポがなかったので家から一歩も出ず、たまに外の雪景色を楽しむというきわめて都合のいい過ごし方をさせてもらった。ただ、むしろ家から出る余裕もないくらいの作業と打ち合わせに忙殺され、ヘトヘトだ。自炊を楽しむ余裕なんてほとんどないが、そんな中でも食事の時間だけは簡易ながらも手を動かすことが、そしてドラマを観ながら束の間の休息をとることが癒しになる。そしていま、日曜の冬にわかれてのライブの物販で買った、あだち麗三郎さんのパートナーの方のつくったラー油が、小さくもたしかな彩りを与えてくれている。邪魔しすぎない程度の、ほどよくカラフルでまばらな風味のスパイスがとてもたのしく、卵かけご飯も納豆もインスタントラーメンも一気にたのしくなる。これは寺尾さんのようにリピーターになってしまう。

 

そんな中で、今日も朝から一心不乱に仕事をし、1930頃には力尽きる。そして、家に大した食材も残ってなかったのだが、だからこそ飲みながら、一品ずつ自由にテキトーにつまみにする。最初はIPAを飲みつつ、パックの豆腐をチンしてポン酢をかけて湯豆腐。そして、賞味期限が切れそうな油揚げ2枚をフライパンで焼いて、醤油をたらして食べる。最近これにはまっている、甘さとパリパリ感がたのしい。あと使いかけの玉ねぎも焼いて、でも足りないからチンして、適当にポン酢と醤油をかける。そしてメインディッシュに、冷蔵庫に残っていたウィンナーを焼いてちょっとだけ塩胡椒を振る。あとは締めに、味付けのり、そして先週末のイベントの余りでもらってきた歌舞伎揚をポリポリしながら、いつの間にか移行していた金麦を流し込む。この間、キッチンでスマホ×AirPodsNetflixで『春になったら』の最新話を見切るという、三浦哲哉が聞いたら怒りそうな意識の低い晩酌。でも、いろいろとイライラしている気持ちが、いつのまにかおさまっていた。食後はちょっと前に買って楽しみにしていたオレンジワインを空けて、Kindleで漫画、そして半年前に買って積んであった寺尾さん編集のエッセイ集を読む。特に追加でお金をかけずに、2時間ほどでけっこうリラックスできたので、お風呂上がりになんとか、今週中の自炊者報告を。

 

 

さて、今週はセブンにもサイゼリヤにもない風味、という題。これは決してセブンやサイゼを貶めて手料理を礼賛するとかではなく、むしろ稲田俊輔『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(これは本当に名著)に代表されるような、昨今のチェーンのグルメ的秀逸さを正当に評価する流れを汲んでいる。ただ、その上で自炊にしか出せないものとして「個体差」を挙げる。季節の違い、スーパーの違い、もっとシンプルに個体ごとの違い。土井善晴も言っていたように、そうした違いが、ただ旬のものを買っているだけで自然と出てくるのが自炊の面白いところであり、飽きないところ。これはクオリティは高いが規格化されたチェーン店には出せない、という点を三浦は指摘する。

 

そして、今週の実践編は、青菜のおひたし、あるいはトマトパスタ。結論、めんどうだからつくらなかった。ほうれん草のおひたしはたまにつくるが、だし汁を30分冷ましている余裕が今週はない。ただ、冬のほうれん草のおいしさや安さはよくわかるし、何ならおひたしをつくろうと買ってきてあったので、きのう常夜鍋をつくった。恥ずかしながら、自分はここ数年ではじめて常夜鍋を食べるようになった。そもそも実家には常夜鍋を食べるならわしがなかったし、外でもなかなか食べられない。ただ、昨日何食べたで知って、簡単そうだと思ってやってみたらとてもハマった。ほうれん草と豚バラの相性が素晴らしく、文字通り毎晩だって食べられる。これは冬だからこその、そしてほうれん草が安く美味しそうなときこその味わいであり、「個体差」を味わっている、ということで許してほしい。

エレピ、吉祥寺、ラー油

イベントやクラファン追い込みで怒涛だった一週間を終え、昨日今日はたくさん寝たり、家事をしたり、マッサージに行ったりしつつ、ウィークデーでたまった細かな仕事を片付けたり、podcastの収録をしたりしていた。やや疲れは取れてきたものの、まだ身体も重く、なぜか昼過ぎからメンタルもしんどくなってきたので迷っていたのだが、前売りを取っていた冬にわかれてのライブに行ってきた。吉祥寺なので遠いし、前売り制なのでチケット代ははらっておらず、行かなくても損は出ないのでけっこう迷ったが、家にいてもしんどくなりそうだったので、移動時間で読書しようくらいの気持ちでなんとか足を運んだ。

[冬にわかれてワンマンライブ]、[uchiake tokyo vol.2] のチケット購入・予約は TIGET から

 

 

結果、ほんとうに行ってよかった。

 

とても幸せな時間を過ごし、終わってもまだ7時過ぎでお腹も空いたので、せっかくなのでハーモニカ横丁の適当な立ち飲み屋に寄り道しつつ、感想をメモしておく。ストーブ直の場所で、めちゃあたたかい。

 

場所は吉祥寺の老舗Star Pine's Cafe。初めてだったけれど、なんというか、やっぱ吉祥寺には敵わないよなぁと思わされるような素晴らしい場所。これはブルーノートがいくら資本を注ぎ込んでもつくれない。

 

そして整理番号そこまで良いわけじゃなかったのだけれど、来場客の絶対数がそこまで多くなかったこともあり、なんか3列目に座れた。寺尾さんのピアノとの距離、2メートルちょっと。寺尾さんを生で拝見したのは2回目だけれど、前回はブルーノートだったので、かなりニュアンス感が違う。

 

(このあたりで、店のオヤジに少し話を聞くフェーズになり中断。ハモニカ横丁、同じ系列の店が11個くらいあるらしく、でも大資本ではなく元々街の電気屋が飲食始めたら面白くなって、空いた店のテナントをどんどん買って、気づけば11テナントになってたのだとか。でもおそらく、大資本の系列よりはしっかり店の個性は保たれていて、個人経営ボトムアップだと厳しい場合の折衷案としてこういうのもありなんだなと。あと流しの人が来て、毎日来るらしいのだけど、流しの組合なんてものがあるらしい。最近の流しは若い人がiPad片手に、Paypayでチップを集金するという話は聞いたことがあるけれど、ここまでシステム化されているとは)

 

というわけで、寺尾さんとの予想外の近さにテンションが上がりつつ緊張しつつ、ハイネケンの瓶片手に、川喜田二郎『パーティー学』を読みながら開演を待つ。

 

3人が登場し、2メートル少し前で寺尾さんがありえない高解像度でエレピを弾きながら歌う姿を見た時点で、涙腺崩壊5秒前。なんかそれを聴き始めた瞬間、「あぁ、自分が目指すべきはこれなんだ」と腑に落ちて、胸がいっぱいになってしまった。ふだん音源を聴いたり、著書を読んだり、前のBluenoteのときも似たようなことを思ったが、寺尾紗穂、いや伊賀航とあだち麗三郎を含めた冬にわかれては、美しく、それでいてあたたかく、実はものすごくテクニカルなことを、ものすごく自然にやっている、そのバランスが奇跡的だと思う。伊賀さんもあだちさんも非常に技術力の高いミュージシャンであることは明白だけれど、いわゆる「技術のための技術」とは真逆。寺尾さんは自ら「こほろぎ舎」というレーベルも立ち上げているけれど、これこそインディペンデント。

 

実は紅白のYOASOBIを見て、マスの舞台をハックするという打ち手の破壊力の強さに打ちひしがれていたのだけれど、今日の演奏が始まった瞬間、「あぁ、やはりこっちがしっくりくる」とあらためて腹落ちし、なんだか救われた。自分たちの好奇心をひたすらに満たしながら、紅白と比べたら人数ははるかに少ないけれどたしかに聴いた人の世界を変えていくという手触り感。そして、文筆家やわらべうたの探究も並行する寺尾さん、サックスや整体も並行するあだちさんをはじめ、ピュアに知的好奇心を満たす。その世界との接し方そのものに、救われた気分になる。

 

シンガーソングライターで文章も書くという人は珍しくないけれど、寺尾さんはゴリゴリのルポルタージュを書く点がユニークで、魅力だ。南洋、原発労働者など、いわゆる表面的にはジャーナリスティックなテーマを、「私」の視点から、ピュアな知的好奇心に駆動されて話を聞き、まとめていく。徹底して事物について書いているのに、そこには実存がにじみ出る。その魅力が端的に表れているのが『南洋と私』で、大学生のときの恋人の思い出から、小さな好奇心を突き詰めた結果として、大きなものに接続していく。今日物販で寺尾さんが出張ってたので、サイン入りの2冊目を買った。

南洋と私 -寺尾紗穂 著|文庫|中央公論新社

 

そうそう、物販はあくまでもMCで触れられていた、あだちさんのパートナーの方がつくって、寺尾さんと伊賀さんがリピーターだというラー油を買うために立ち寄ったのだけれど、期せずして寺尾さんが座っていらっしゃって、サイン本を買うことにした。ふつうにキョドってしまい反省。寺尾さん、音楽や文章からはとてもストイックな印象を受けるのだけれど、ライブではお茶目でチャーミングな面ばかり見えるのでその点も魅力。ひとまず、『南洋と私』が一番好きだということ、そして今日がとても幸せな時間だったことはなんとか伝えられた。(寺尾さんに本を書いていただくというのは、編集者としてひそかに胸に秘めているやりたいことリストのひとつ。)

 

あと改めてというか、バンドをはじめた中学生の頃から15年ほど経ってようやく明確に認識したのだけれど、グランドピアノよりもエレピのほうが好きなんだと思う。今日のライブも2台体制で、曲によって使い分けていて、もちろんグランドピアノの芯のあるしっかりした音も素敵なのだけれど、エレピのほうにあたたかさをどうしても感じてしまう。寺尾さんのエレピと歌声のハーモニー、泣きそうになる。単にエレピの方が圧倒的に生で聴いてきたことが影響している気がするが。あとエレピの中でもとくにhonky-tonkの音色が好きで、これは多分、聴いたことはないけど本物のhonky-tonkよりも、エレピの音色のhonky-tonkが好きなのだと思う。

 

 

というわけで、おそらく支離滅裂かつ甘い立論になっているのだけれど、飲みながらということで許してほしい。あらためて、寺尾さんならびに冬にわかれてのような「つくる」を目指したいなと、強く感じさせられた素晴らしい時間だった。明日からも頑張ろう。

 

結局、飲み屋では書ききれず、帰りの井の頭線でこれを書いているわけだけれど、吉祥寺はもちろん、井の頭線で下北よりも吉祥寺寄りに来たのなんて何年ぶりだろうか。なんというか、駅名を見てるだけで、懐かしさでいっぱいになる。

 

帰りの電車はNHKオンデマンドで『光る君へ』をみよう。

 

 

『自炊者になるための26週』実践編:第3章 風味イメージ

今週あまりにバタバタで、なかなかブログを書く時間と気力がなかったのだけれど、神経症的な気持ち悪さが勝ち、疲労困憊の中、白ワインで気つけをしながらなんとか書く。

 

この第3週、この本で一番面白い章というか、最も核になる章なのだが、ちょっとそれについて熱く書いている気力は残っておらず、ぜひ本を読んでほしい。こればっか言ってる気がするが。一言でいえば、風味をへだたった時間を映す映像として捉え、インデックス、パターン、シンボルの三種に分類して分析するという、映画研究者であり食を愛する三浦の本領がこの上なく発揮されているのだが、繰り返すようにそれについて語る気力は残っていないので、ぜひ本書を読んでほしい。

 

ここで三浦が例として挙げるのが味噌汁で、だしを通じて海の記憶とつながるというもの。

 

味噌汁といえば、最もつくっている料理のひとつかもしれない。というわけでこの週も余裕。ただ、わりとだしは顆粒だしで済ますことも多いのだけれど、意識してこんぶや、具材としていれた牡蠣のみなどからとるようにはした。本当は花鰹が一番好きだけど、プロセスが面倒で立て込んでいるとなかなか遠のく。

 

でも、味噌汁は最強の自炊料理だと思っている。野菜も肉も魚介もすべてぶち込める完全栄養食。調理も簡単で、それでいて具材のだしによって同じ味噌でも味が変わるのでたのしい。旬のもの、つまりスーパーで安く売っているものを入れているだけで、自然と季節の移り変わりを楽しめる。土井善晴も似たようなことを言っていたが、僕は一汁一菜どころか、味噌汁だけで完結できると思う。ボリュームや食べ応えがほしければ、ごま油で炒めた豚バラで簡単な豚汁にすればいい。ちなみに僕がここ数年好き

な味噌汁は、何食べに出てきた夏豚汁。トマトとニラ、豚バラだけのシンプルな味噌汁だけど、とてもおいしいし飽きない。あと僕が必ず入れるようにしているのはしめじ。食感がおいしいのはもちほん、オルチニンによって疲労回復や肝臓ケアになり、調理もラクだしわりとつねに安い。たぶん一年で一番買っている食材はしめじだと思う。

 

疲れすぎて支離滅裂になってきた。でもなんとか今週も書いたので、こんなところで。次週は青菜のおひたし、つくるチャンスあるだろうか。

『自炊者になるための26週』実践編:2 においを食べる

さて、自炊者になるための生活も第2週が完了。先週のパンに引き続き、今週は白米。といっても、白米の炊き方に関してはわりと一般的な解説が少しあるだけで、どちらかといえば人間が「においを食べる」という営みのメカニズムの解説がメインの章。料理を味わうときのキモである、実は犬並みにすごいと言われる人間の嗅覚。その詳しい解説はぜひ本書を読んでほしい。

 

何はともあれ、本書でも述べられていた、白米を炊いて蓋を開けたときのクライマックス感、多幸感については、異論の挟みようがないだろう。

 

今回は、前回に比べたらだいぶ楽だった。というのも自分は生まれてこの方、筋金入りの白米党で、よほどのことがない限り朝食には白米を食べてきたからだ。

 

ただ、白米という観点で、ここ半年ほどでそういえば変化もあった。

 

端的に言えば、炊飯器を使わなくなったのだ。きっかけは、ずっと使っていた炊飯器が壊れたこと。せっかくだから良い炊飯器が買いたいなと思っていたが、バタバタしていてリサーチがなかなか進まず、緊急対応的に鍋で米を炊いていたら、気づけばそれに慣れてしまった。土鍋はないのでおこげはつかないのだが、コツをつかめば炊飯器より早く炊ける。もちろん放置というわけにはいかず、ちょこちょこ面倒を見なければならないが。あとけっこう油断すると失敗して、半分おかゆみたいなご飯が生成されてしまうこともあるが、そのボラティリティーもまた一興。

 

とはいえ最近、別のニーズから炊飯もできる圧力鍋を買ってそれで炊飯するようになった。自動で炊けるのは素晴らしい。いちど炊飯器なしの生活を送ったからこそわかるありがたみ。

 

それでも、もういわゆる炊飯器は一生買わなくていいかもという気持ちになっている。それよりは土鍋のほうがほしい。

 

 

それから白米といえば、大事なのが飯の友だろう。うちの常備軍は、納豆、たまご、ゆかり、ごま塩、ジャバンのりといったところ。たまになめ茸やご飯ですよを買うこともある(両方大好き)。いまは年始恒例、ふるさと納税のいくらがある時期なので、端的に言えば無敵。なぜなら、いくらは僕がこの世で最も好きな食べ物のひとつだからだ。

 

というわけで、今週は余裕でクリア。次週はみそ汁だが、これも余裕だ。なぜなら自分の自炊の50%はみそ汁だからだ。早く魚を捌くみたいな難易度高めの週が来てほしい、という気分にすらなっている。

『自炊者になるための26週』実践編:1 においの際立ち

2024年の目標の一つに、「自炊者」になる、というものがある。言い換えれば、昨年末に刊行された三浦哲哉『自炊者になるための26週』を実践する、というものだ。

www.asahipress.com

 

僕はもとから自炊はどちらかといえばするほうで、仕事が立て込んでいるときであっても、いやむしろそういうときこそ、無心で料理をすることでストレスを発散させるタイプだ。特に、仕事を切り上げた後に、音楽やPodcastを聴きながら、ビールあるいはワイン片手に料理する時間は、これ以上ない至福の時間のひとつでもある。

しかし、同時に課題意識……というと大げさだけれど、モヤモヤも感じていた。それは、もっと色々つくれたら、あるいはつくる意欲があれば、もっと楽しくなるのに、というもの。というのも、僕は自炊こそするが、基本的に面倒なことはせず、魚をさばいたり、揚げ物をしたりは一切しない。一汁一菜以上も基本的にはつくらない。スキルでいえば、ここ5年くらいで一切進歩していないと思う。面倒なものが食べたくなったら、外で食べればいい、くらいのスタンスだった。しかし、さすがにここ最近は自分のつくるものに飽きも出てきていた。味噌汁や鍋、あるいは適当な炒めものをつくるように、もっと色々なものをつくれたら楽しいだろうな、という感覚はずっとあった。それからもっと大げさなことを言えば、僕は日常における小さくて凡庸な創造行為がもたらすケア的効果に強く関心を抱いていて、その大きな例として自炊があると思っていたので、そうした探究を実践してみる意味でも、ここらへんで改めて自炊に向き合ってみたいと思っていたのだ。

そんなとき、『自炊者になるための26週』に出会った。本書は、自炊をいかに愉しむか、堪能するかという視点に則って書かれており、具体的なレシピや、いわば「自炊批評」的なメタ分析も含めつつ、毎週特定の調理法や材料にフォーカスして26週分書かれている。まさに、いまの自分にうってつけの本だ……ということで、今年の前半は26週かけてこの本を実践して血肉化し、帯文の表現を借りれば「日々の小さな創造行為」を目一杯堪能できるようになろう、という魂胆だ。

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(行きつけの近所のブックカフェでやっていた書き初め企画でも、しっかり書き残しておいた)

 

……というわけで、第1週を終えたのでそのレポートを。第1週のタイトルは「においの際立ち」。三浦は「おいしさに接近する最大の鍵」を「におい」に求め、その最初の実践例として、パンを挙げる。つまり、この第1週のテーマは、パンを焼くことを通じて、「においの際立ち」を味わえるようになる、というものだといえる。

 

トースト、バターロール、フランスパン、さらにはサワードゥの直火焼きまで具体例を挙げるが、三浦が最も重視するのは、「におい」を愉しむことそして狙いをしっかり持ち、方法のちがいを楽しむことだ。(このあたり、ちゃんと本文を引用しながら紹介しようと思ったが、面倒で続かなくなる未来しか見えないので、やめた。調理や味わいのプロセスの描写も素晴らしいので、ぜひ本書を読んでもらえると)

 

さて、第一週がパンだと知ったときは、いきなり頭を抱えた。なぜなら、うちにはパンを焼く環境、つまりトースターがなかったからだ。そもそも僕は実家にいた頃から筋金入りのご飯派で、朝ごはんは常に白米、パンはごくたまに外で朝食をとることになったときのみ、というスタイル。というか、嫌いではないが、そもそもそんなに好きじゃなかった。

でも、いきなりこんなことで挫折してはいられない……ということで、思い切ってアラジンのトースターを買った。トースターにしてはやや高めだったが、結果的には大正解。かわいいグリーンが置いているだけでテンション上がるのはもちろん、やはりパフォーマンスが素晴らしい。というかトースターが素晴らしい。こんなに簡単にパンが焼けるなんて。

 

この1週間は、無理をしてパン中心の朝ごはんに。気分を上げようと、コーンスープやオニオンスープ(粉末だが)、プチトマトや目玉焼き、あるいはスクランブルエッグもつけてしまう。ふだんは朝は面倒で、冷凍ごはんをチンして、納豆か卵をかける、そして昨晩の残りまたはレトルトの味噌汁くらいなのだが、パン食にあたって、ついつい毎朝卵料理をつくってしまう。パンは超熟トースト、近所の人気パン屋の特製トースト、マーガリン入りバターロール、プレーンバターロール、さらにはバター以外にもはちみつやピーナツクリームなどいろいろ試したが、結局はシンプルにバタートーストが一番好きだなと再確認。あと当たり前だが、トーストとバターロールで焼き加減に違いが求められることも体感できた。

 

 

というか、焼きたてのパン、美味しい。三浦が恍惚としていたのもよくわかる。焼きたてのパンのにおいだけでこんなに幸せになれることを、30にして初めて知った。

 

正直、三浦の言うように狙いを持って試行錯誤まではあまりできた気がしないし、バゲットもサワードゥも試せていない。しかし、30年朝は米食派できた僕が、ストレスなくパンの朝食を楽しめるようになった。それだけで大きな進歩だし、これからはちょくちょくパン朝食を取り入れようと思った。シンプルに、できることが拡張され、楽しみの選択肢が広がった感覚。これを26週できれば、かなりの自炊快楽主義者になれるのではないかと思う。

 

 

 

松の内、Aメロ、やっこ

いつの間にか松の内が過ぎ、「あけましておめでとう」が消えた。今日うっかり言ってしまったけれど。でも、今年はちゃんと1/7に正月飾りを外し、1/8に近所の神社のお焚き上げに託せた。

 

新年早々立て込み、今日は疲労困憊の中でたまたま耳にした、あいみょんの『君はロックを聴かない』になぜか泣きそうになった。今までの人生で、あいみょんに強いを関心を抱いたことはなかったけれど、なんて素晴らしいAメロなんだろう。でも疲れてるんだなと思った。

 

昨日は出張初め、京都初め。去年から出張でちょこちょこ行っているけれど、もはやかなり落ち着く街のひとつに。いい取材ができたし、京都の夜も心置きなく堪能できた。今朝は寝不足ながらも、五条の喫茶店でしみじみ作業、そして大好きな丸太町の「やっこ」でキーシマとミニ衣笠丼セット。昼過ぎには新幹線に乗り、横浜に着くなり会議や作業をこなし、帰りがけに地元の馴染みのクラフトビール屋で調子を戻す。帰宅後、暖房の効いた部屋で、キンキンに冷えた飲みかけのオレンジワインを飲みながら、宇野さんの小説のつづき。とても面白くて勇気をもらえる。さすがに眠いけれど、今朝の朝ドラに追いついてから寝たい。

 

きのうの取材に大いに刺激を受け、今年やることについて悶々と考える。でもさすがに眠い。