Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

人生で初めてMRIを受けてみた

今週はポートフォリオ記事を出したこともあり、ゆるめの雑文を書ければと。

 

タイトルの通りだが、昨日、人生で初めてMRI検査を受けた。と言っても、なにか大病の疑いがあるとかではなく、ランニングしていたら膝を痛めてしまい、レントゲン検査だけでは原因が特定しきれないので念のため、というものだ。

 

1万円近くお金がかかるし、わざわざ検査専用の病院に行かなきゃいけないしで、ちょっと億劫だったが、結果的に新鮮な体験ができてよかったと思っている。

 

まず、検査専用の病院なんてものが存在していることをあまり知らなかった。しかも、実際に行ってみると、予想外に綺麗。もっと重苦しい雰囲気を想像していたが、新しくできたスポーツジムのような明るい雰囲気。

 

検査自体は、予想以上に仰々しいものだった。検査前にいちおう検診をするのだが、そこで「けっこう狭いとこに閉じ込められるんですが、閉所は大丈夫ですか?」と聞かれる。むしろ閉所はけっこう好きなほうだとは思うが、こうして念を押されると、ちょっと不安になる。

 

そして実際の検査も、レントゲン検査のように一瞬で終わるのかと思いきや、10分ほどかかるとのこと。機械や金属機器などを外したうえで、検査室に入る。ものすごく冷房が効いていて、とても肌寒い。MRIの機器も、近くで見るとものすごい存在感。まるで浜辺に打ち上げられたシャチのようだ。

 

検査前には「かなり音が大きい検査になるのでヘッドフォンをします」と伝えられ、渡されたヘッドフォンをつける。ますます不安になる。横たわり、小さなトンネルのようになっている検査機器の中に入る。『インターステラー』で数年分眠らされるときのような気分だ。

 

検査がはじまる。10分ほど、ガーガーやらピーピーやら、たしかにものすごい振動と音にさらされる。これはヘッドフォンがなかったらしんどかっただろう。10分と言いつつ、次にどんな音や振動が来るのか不安で、体感時間は30分くらいあった。

 

しかし、興味深いのは、だんだんとその空間に慣れてくると、自分が生きている気持ちがしなくなること。以前、養老孟司が「病院は生と切り離された空間だ。集中治療室に入っていると、自然と『このまま死んでもいい』という気持ちになってくる」という旨のことを言っていたが、なるほどたしかにそうだ。無機質で、メカニックで、外界と隔絶された空間にいると、ポジティブでもネガティブでもなく、自分の暮らしというものがはるか遠くに思えてくる。

 

昔から、病院の無機質な質感は苦手だったが、そういうレベルではない。あれはまだ、医師や看護師、患者といった人の気配を感じる。しかし、MRI検査室に一人取り残されたとき、そこには機械しかない。

 

ちょうど最近、病院内に音楽や絵画を導入することでヒーリング効果を狙う「ホスピタルアート」という取り組みを取材したが、MRI検査を経ると、ああいったものの重要性をより身体的に理解できる。特に長期入院の場合は、暮らしから隔絶された病院という空間に、いかに生を実感させる要素を取り入れるかがとても大事だろう。MRI室的な空間では、驚くほどナチュラルに、生きる気力といいうものがしぼんでいく気がする。