Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

「年末進行」という虚構、そして韓ドラ

最近、やたらと仕事が立て込んできたのと、ほとんどが緊急事態やら何やらに消えていった秋までの反動なのかここぞとばかりに飲み会が入っているので、肩や腰、肝臓がなかなか弱ってきている。でも、嫌な忙しさじゃない。アドレナリンが出る系のやつ。身体だけ壊さないように気をつけつつ、駆け抜けたい。

 

 

仕事といえば、最近、「年末進行」の持つ虚構性のようなものについて考えている。僕もご多分に漏れず、師走っぽい感じの立て込み方になっているのだけれど、そもそもだいたいの仕事は、年末だからといってタスク量が増えるわけではないのではないか。もちろん、年末年始の休みの影響で営業日が少ないみたいな要因もなくはないのだろうけど、「年末だから」と、仕事を頼む方も受ける方も、リソース管理がなし崩し的に甘くなっている気もする。年末が忙しいから「年末進行」なのではなく、「年末進行」という言葉があるから年末を忙しくしてしまう趣深さ。言葉というものが生み出す、フィードバックループの片鱗が見える。そんな僕も、「年末進行」の真っ只中にいる。

 

 

その反動もあってか、ここ数週間、一気にNetflixの韓ドラを見漁る日々。といっても、まだ『愛の不時着』と『海街チャチャチャ』を立て続けに見たくらいだけど。こう言ってはなんだが、話としての深みはほとんどないと思う……と言ったら怒られるだろうか。ご都合主義で、ワンパターンで、前時代的。批評的な読み解きに耐えうるものではない。それでも、キャラクターの魅力と会話のテンポの良さ、画面の綺麗さや温かさで一気に惹きつける。頭を空っぽにして、スーパー銭湯でダラけるかのように楽しむ。立て込んでいる時期だからこそ、強制的なリフレッシュ的装置になるし、こういうコンテンツももちろんあってもいい、というか嫌いじゃないが、こうしたものがグローバルで大きな存在感を示していることは、なにかを象徴している気もする。