Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

どうでもいい雑文のリハビリ

ちょっと最近、疲れがピークに達してきていて、意欲はあるものの身体がついていかない感覚(とはいえ、まとまった休みは取りづらい状況)。今日はほぼ休んで、マッサージに行って、クラフトコーラを煮詰めてみた。ただ、仕事のことはできる限り頭から外しておきたいので、今日はいつもの編集後記ではなく、ほんとうの雑文を。とはいえ、こうした文章もたくさん書いていきたいので、その実験もかねて。

 

9月1日になって、露骨に秋になった。8月の終わりから、夜になるとスズムシのような虫の鳴き声が聴こえるようになり、気配は感じていたが、ここまで露骨に切り替わるとは。露骨すぎて、少し笑ってしまった。そして、あらためて見ると、「露骨」という字はなんだか民度が低い。と思いきや、うっすらとおどろおどろしさもある。とても不思議な表現。骨が露わになるということは、覆っていた肉や毛が取り払われてしまったということ。

 

ほんとうに雑文という感じがするが、本来こういうもの、平和な雑文が溢れているのがインターネットの良さだったはずだ。自分も過去を振り返ると、昔であればあるほど、平和な雑文をしたためる場として使っていた気がする。小学生のとき、テキストサイトのようなくだらない“ホームページ”を立ち上げ、友達と掲示板で交流したり、日記を書いたりしていたあの楽しさ。中学生のとき、いまはなき“前略プロフィール“が現実と溶け合っていた。次第にmixiSNSを初めて体験し、その相互評価のネットワークに疲れて、Amebaブログの“アメンバー限定記事“に逃避。そして大学生になり、TwitterFacebookにその場が切り替わり、仕事をするようになると、そのパブリック性がどんどん高まっていった、というのが、ほんとうにどうでもいい自分のインターネット体験である。

 

もちろん、昔は昔で、それなりの閉塞感があった。掲示板につくコメントの数、懐かしきアクセスカウンターの数字に一喜一憂し、とらわれていた。現代のSNSが100%ダメで、昔のテキストサイトが100%よかったという単純な話ではないだろう。でも、いまやTwitterでそうした日々のどうでもよい雑感を書くことは減ったし、書くことに魅力も感じない。あえて告知せず、ひっそりと更新しているこのはてなブログですら、躊躇してしまう。でも、こうして書いてみると、意外にイケる。どうでもいい雑文のリハビリとして、はてなブログを使っていってもいいかもしれない。