Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

『鎌倉殿の13人』の話

今日でコロナ療養4日目。若干の倦怠感や咳は残るものの、ほぼ平常体調と言ってよい。ただ、まだ味覚異常と嗅覚異常が来ていないのが少し怖い。このまま来ないのか、突如訪れるのか。

今日は修理に出しているMacの代わりにレンタルしたPCが届いたので、それをセットアップしたり、もともとオフライン参加の予定だったワークショップ取材をオンラインで行ったりと、少しずつ仕事に戻り始める。とはいえウォーミングアップ程度。本格復帰は明日から。

 

 

 

夜は毎週楽しみにしている『鎌倉殿の13人』。

 

このくらいのフェーズになると、残り少なくなってきて、プレロスみたいな感情になる。今回は、「かつてと同じ構図」がキーワードのように感じた。頼朝の夢枕に立った後白河法皇から、実朝の夢枕に立った後鳥羽上皇へ。三浦義澄世代が老いて退場していったように、大江広元八田知家らも置いてゆく。かつて孤立した時政のように、北条家内で孤立を深めてゆく義時。かつて脱北条に燃えた頼家のように、朝廷に接近することで北条の影響力を弱めようとする実朝……そんな永劫回帰を思わせる回。

 

しかしその中でも、実朝と泰時の関係性だけは、千世を加えて、かつてとは違う、単なる片恋慕ではないバディ的関係性に変容を遂げる。これが三谷幸喜が特番で言っていた「泰時は希望」の一つの顕現だろうか。とにかく、前回の和田合戦での泥酔活躍を経て、今回は泰時が飛躍的に頼もしくなったのが印象的だった。

 

鎌倉殿はなぜ面白いのか。その要因はさまざまだが、一つに大河という時間軸と尺の長さを十二分に堪能できる点があるだろう。安易な性格変化などをしないがゆえに、少しずつゆらぎながら(あるところは変わらずにいながら)変わってゆく人間を描くがゆえに、時の経過が優れたスパイスとして効いてくる。今回一回を観ているようで、その前に蓄積する連綿たる蓄積を一緒に味わえる。

 

あと1ヶ月と少しで終わってしまうのはなんとも寂しい。