Masaki Koike's blog

編集などを生業としています。モヤモヤの吐き出し、触れたものやつくったものの所感の備忘録など。

編集後記:220124-220206

毎週つけようと思っていたこの編集後記シリーズ、唐突に繁忙期に突入したことにより、もののみごとに2週間ほど更新が止まる。でも、よくよく考えると、1回飛ばしてしまったくらいなので、大したことはない。

 

ここ数年で一番くらいの繁忙期で、毎日祭りのような日々を送っている。原因は明らかで、ある雑誌の校了時期でとても忙しくなるのがわかりきっているのに、とはいえそれゆえに他の仕事を抑えめにしていたのをいいことに、追加でいくつか別仕事を受けてしまったことだ。雑誌の校了時期、完全になめていた。今週来週くらいは、まだまだ修羅場が続きそうだ。なんとか生き抜く。

 

生死の境目をさまよいながらも、なんとか正気を保つために読んだり観たりを完全にゼロにはしていないのだが、そのレビューを書いていくほどの気力が残っていないので、またの機会に。

 

ここ数年、カフェインを夜取ると眠りの質が落ちる神話を信じて、基本的には夕方以降はコーヒーを控えていたのだが、そんなこんなで夜も頑張らなきゃいけない日ばかりなので、最近は夕食後もコーヒーを飲んでしまっている。罪悪感や非日常感もあいまってかもしれないが、朝よりも昼よりも美味しい気がする。なんだか、自分を取り戻す感覚。気のせいかもしれないけど。最近、ランニングする余裕もないので、食事やスイーツでストレスを発散しがちだし、食生活が明らかに乱れてきている。でも、数週間だけならいいや。学生時代、試験前に抱いた、ヤバいんだけどちょっと楽しいお祭感に似ている。

編集後記:220117-220123

今週は、体感時間としてはけっこう長かった気がする。基本的には、外出予定は少なく、家にこもって粛々と仕事をしていたのだが、公私ともにいろいろと揺さぶられることがあったせいか、わりと長く感じた。

 

ちょうど今日読んだ磯野真穂『他者と生きる──リスク・病い・死をめぐる人類学』でも、まさに他者と共に予想外のできごとに向き合っていくとき、「統計学的時間」と「関係論的時間」が乖離するのだ、ということが語られていた。今週は、自分の人間としての未熟さを痛感して食らっていたのだけど、しっかりと前を向いていこうという気力がもらえた。磯野さんの新刊、よかった。主題としてはこれまでのお仕事の延長線上にありつつ、狩猟採集民信仰や自分らしさ信仰への分析は鮮やかだったし、何より最終章は、『急に具合が悪くなる』の続編とも読めて胸を打たれた。

 

今週はわりと仕事関係の読書が多かったけれど、三中信宏『読む・打つ・書く──読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』、椎名美智『「させていただく」の使い方』あたりは面白かった。

 

テレビドラマでは、友達からすすめてもらった『おいハンサム!!』がダークホース的におもしろい。前時代的な価値観に見えつつ、語り口や前提条件で「古さ」を削ぎ落としている。観ているだけで幸せになる系のドラマ。

 

音楽は、話題沸騰の宇多田ヒカル『BADモード』は、まぁ流石によい。デビュー25年経って、現代的なライフスタイルや葛藤を自然体で描けるって、本当にすごい。でも、同じ日にリリースされて完全に影に隠れていた阿佐ヶ谷ロマンティクス『大人幻想』も好き。ほんと好きな音。たまたまApple Musicのレコメンドで出会ったLAGHEADS『What is “LAGHEADS”?』も気持ちいい。

 

そうそう、今週はカネコアヤノ初めをしてきた。eastern youthとの2マンで、コースト納めでもある。コーストの1階席、しかも整理番号100番代とかだったので、3列目くらいで観られて最高だった。パフォーマンス自体もめちゃよくて、オラオラ度・勢いはここ最近のライブで一番だった気がする。アーケード始まりは武道館を思い出し興奮、カウボーイは通常運転でテンションが上がる。ごあいさつのサビの声量はもはや笑った。セゾンも安定。抱擁は相変わらずの聖性。爛漫は相変わらず熱気。エメラルド、ベストアクトでは?柔らかさと強さ。閃きは彼方、祝日も相変わらずよい。光の方へは今までで一番、軽やかで疾走感があった。そして凶暴な愛のままを。最後にさよーなら、あなた。最高。

 

それから、ここ数週間決めきれなかった企画、数ヶ月モヤモヤしていた方向性が、今日歩いたり近所の喫茶店で50分くらいコーヒーを待ちながらノートに書きつけたりしてたら、ぜんぶ解消した。とてもスッキリ。しばらくは、粛々と手を動かすフェーズ。というわけで、今週がんばる。

編集後記:220110-220116

また一週間が過ぎた。

 

今週は、なぜか(主に精神的な)調子が良くなくて、しんどい一週間だった。なにか明確な原因があるわけではないのだけれど、年明けくらいから何かに急き立てられるように、焦りを感じている。30を目前にしていることが関係しているのかわからないが、20代前半のような自己実現への焦燥感、何をしていても目の前のことに集中しきれない状態が続いていた。ただ、土日は少し仕事を抑えたり、冷静にその要因を見つめて反芻したり、友達やパートナーに話してみたりすることで、少し緩和された気がする。今は比較的、穏やかな気持ち。

 

それでも、仕事はできる。仕事を始めると、アドレナリンが放出されて、しんどい感覚が麻痺する。よくないしのぎ方な気もするけど。今週は粛々と、原稿を書いたり編集したり。急遽、三浦半島での早朝から昼過ぎまでの取材を手伝うことにもなって、午前中の気持ちの良い三浦半島で、純アシスタント的な仕事に無心で取り組めたのは、いい箸休めになった。マグロだけじゃない、大根の産地としての三浦半島の魅力も知ることができた。まぁ、マグロも相変わらずおいしかったけれども。

 

ただ、そういう精神状態だったから、あんまり積極的に読んだり観たりはできず。ただ、菅啓次郎『本は読めないものだから心配するな』には、今の状態も相まって、いい影響を与えてもらえた気がする。焦らなくていい。

それから昨日、各所で絶賛されていた『浅草キッド』を観た。飽きずに見られたし、大泉洋柳楽優弥の演技はとてもよかったが、正直あんまり好きじゃないと感じた。クオリティの高い作品ではあると思ったけれど、プロットはわりと予定調和だったし、師弟の関係性ももっと深いところまで描いてほしかった。

テレビドラマはいくつか初回を観た。『ファイトソング』はまだ何ともいえない。岡田惠和脚本の作品は、『ひよっこ』や『最後から二番目の恋』など、大好きな作品もたくさんあるが、多作ゆえに当たり外れが激しい印象もあるので、まだ判断できないという感じ。

一方、キャスト陣に惹かれ、あまり期待しすぎずに観た『ミステリと言う勿れ』はバチクソ面白い。日常会話系の小劇場映画のような小気味良い会話と適度なハンドメイド感、わざとらし過ぎないよく練られたプロット、ほどよい抜け感、そして良くも悪くもとても現代っぽいリベラルなキャラクター造形。後追いでさっき観たのだけれど、すでに次回が楽しみ。と思ったらもう明日か、最高。

 

今週の関心事は、いかにしてランニングの習慣を楽しく取り戻すか。そして、いかにしてこの焦燥感から抜け出すか。あ、明日は今年初のカネコアヤノ、しかもおそらくラストコースト。コーストの音響で聴けるというだけで、とても楽しみ。仕事は今週もまぁまぁハードだけど、一つひとつ丁寧に向き合ってゆこう。

編集後記:220101-220109

毎週できるだけ書くようにしている、日記ならぬ週記的な振り返り記事、年も変わったし改めて書こうと思います。

 

さて、2022になって最初の1週間。というか、いま改めて「2022」って打っていて気づいたけれど、近未来感がすごい。僕の時間感覚は、まだ2020年代に到達したことを、どこか受け入れきれていないところがある気がする。

 

年末年始とはいえ、けっこう仕事がたまっていたので、3日からガンガン稼働していた。そのまま昨日まで走り抜けたような感覚。とくに告知できるようなものはないけれど、さすがに取材はあまりなく、ひたすらにライティングや編集の作業を進めていた。年明けからガンガンと素晴らしい原稿をアップしてくれる書き手の方々には感謝しかない。

 

あと、初めてしっかりとしたインタビューを受けた。自分の仕事について言語化するのって、こんなに大変なのかと痛感。言語化というのは、とても孤独な作業。ものを書くときは、紙やドキュメントツールという”半他者”のおかげでそれが乗り切れている(cf.『ライティングの哲学』)わけだけれど、喋るときは、インタビュアーが伴走してくれることが何よりもありがたい。自分がインタビュアーを務めるときも、いい伴走者でありたいなと改めて思った。今回のインタビューは、幸い気心が知れていて、腕も確かな人にインタビューしてもらえたため、緊張していたにもかかわらずなんとか乗り切れたと思う。

 

年始は、3日続けて『ゲット・バック』を観ていた。先月の半ば、観ようと思って1ヶ月だけディズニープラスに入会したものの手がつけられていなかったが、思いの外よくて一気に観てしまった。僕はあんまり良いビートルズのリスナーではないけれど、それでも十分楽しめた。4人のキャラがよくわかるのはもちろん、よく知っているこの曲やあの曲が作られていく過程も興奮。最後のルーフトップ・コンサートはもちろん大興奮。それにしても、この撮影時の4人、今の自分とほぼ同年代なんて、ミュージシャンは早熟な人が多いとはいえ、気が引き締まる。

disneyplus.disney.co.jp

 

それから、前三部作を見返したうえで、昨日『マトリックス』の新作も見に行った。ただ、「リローデッド」以降特に感じていたが、僕はあまりマトリックスは合わないなと再確認。『ウェストワールド』もそうなのだけれど、テクノロジーと幸福/倫理みたいな主題にはとても興味があるしいろいろと読んでいるものの、それを描いたフィクションは多くの場合、退屈させられてしまう。恋愛をはじめ、人間関係の描写がどうしても後景に退きがちなのも、あんまり得意じゃない一因なのかも。

 

読んだものは、いくつか印象に残るものがあったのでPick。

デール・カーネギー『人を動かす』を今さらに読んで、"重要人物たらんとする欲求"を最重要ポイントに置いている点に意外な驚き、哲学書として読み解くと楽しそう。深澤直人『ふつう』のテーマ設定に、自分の問題意識ジャストなこともあり、やられた感。伊藤沙莉『【さり】ではなく【さいり】です。』、あの底抜けの明るさの背景がよく伝わってくる、あたたかくて巧い文章でよかった。鶴見俊輔『限界芸術論』、テーマ設定はとてもよかったものの、「限界芸術」については掘りきれておらずその難しさを痛感。梅棹忠夫『私の知的生産の技術』、あらためてセルフケアとしての「知的生産の技術」について考えさせられてとてもよかった。

 

あ、それと三谷幸喜の『鎌倉殿の13人』が昨日はじまる。『真田丸』が大好きだったのでとても楽しみにしていたが、予想外に暗く、良い意味で期待を裏切られた感。これから楽しみ。

 

一週間とおして、なにか全体的に焦っていた。その結果、中途半端なマルチタスクが増えていた気がする。今週は、一つひとつの時間を丁寧に味わうことを意識して過ごしたい。

2021年の備忘録と、2022年に向けて

12月はちょくちょく人に会ったりしながら、淡々と仕事をしていたら、気づけば大晦日に。まだまだ仕事は山積み、かつ31日だけれど一緒に仕事している人たちから熱い連絡が続々と届き、良い意味でまったく納める気持ちにならない。とはいえ、実家や親族との恒例行事があるのと、ちょっと振り返りや小休止をしたい気持ちもあり、ここから2日くらいまでは、少し稼働を抑える予定です。というわけで、まずは年末らしく、僕の2021年を駆け足で、大雑把に振り返っていこうかなと。一人で飲みながら配信するようなイメージで、脈絡ない感じでいきます(実際、軽く飲みながら書いているわけですが、そういうことで多少の雑さは多目に見てください)。

 

ちなみに、去年は大晦日にこんなブログを書いていました。会社を畳んでから、まだ一年しか経ってないのか。2021年への種まき、回収できたりできてなかったりだなぁ。

masakik512.hatenablog.com

 

 

手始めに、消費者としての2021年から。なんだかんだ仕事が忙しくて、そこまでたくさんのものに触れられたわけではなかったんですが、それでもそれなりにいいものに出会えて幸せでした。

 

まずやっぱり、国内ドラマは豊作だったんじゃないかなと思います。(特に大豆田に関しては)賛否両論あるとは思いつつ、やはり『大豆田』と『俺の家の話』、『おかえりモネ』の3つはとても素晴らしかった。こういう作品にリアルタイムで触れられて、素直に幸せだなぁと思います。年明けも、岡田惠和遊川和彦の新作、そして『鎌倉殿の13人』と、楽しみなドラマがたくさん。『カムカムエブリバディ』の続き、そして地味に好きな『ワカコ酒』の新シーズンも楽しみだ。

www.ktv.jp

www.tbs.co.jp

www.nhk.or.jp

 

それから、仕事が立て込んできた秋頃、ようやく手を出した『愛の不時着』を皮切りに、韓ドラにはまりかけています。疲れたときや忙しいときこそ向いていて、頭を空っぽにして観られる、魅力的なキャラクターの群像劇を楽しめるのが心地よい。正直に言って前時代的に感じるような世界観を前提としつつ、現代的なジェンダー観から照らして違和感が出すぎないギリギリの塩梅の政治的正しさが担保されていて、現実逃避のファンタジーとしてとても完成度が高い。グローバルで人気の秘密がなんとなくわかった気がします。いくつか観てると、俳優さんがかぶってくるのも楽しい。まだまだメジャーなやつしか触れてませんが、疲れたときにちょこちょこ観ていきたいです。

www.netflix.com

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映画だと、『すばらしき世界』が素晴らしかった。細部まで丁寧に作り込まれた完成度はもちろん、「社会vsヤクザ」という安易な二項対立に回収しない描き方がよくて、立て続けに西川美和さんの作品は全部遡った。全部よかった、また観返したいなぁ。

wwws.warnerbros.co.jp

それから、つい最近観た、濱口竜介さんの『偶然と想像』が傑作だった。人生に必然もファクトもなく、本質的には偶然と想像でしかない。既存の価値体系に馴染めなかった者たちの劇中"演劇"を通じて、その偶然と想像を肯定していく。『ドライブ・マイ・カー』もよかったけれど、それよりもだいぶ好きでした。朝イチで近所のジャック&ベティで観たのですが、最高の一日の始まり。年明けにまた観たい。

guzen-sozo.incline.life

 

本は仕事柄もあり相変わらずたくさん読んで、ふつうに良かった本にもたくさん出会えたのですが、あえていくつかPickするとなるとても難しい……。新刊/既刊問わず、強いていくつか挙げるなら以下かなぁ。

猪瀬直樹『欲望のメディア』

・イアン・レズリー『子どもは40000回質問する』

・森本あんり『反知性主義

・ウォルター・リップマン『世論』

弘兼憲史島耕作』シリーズ

・井庭崇『クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育』

・新庄耕『ニューカルマ』

磯部涼『ルポ川崎』

・村田あやこ『たのしい路上園芸観察』

花森安治花森安治選集』

・東千茅『人類堆肥化計画』

立花隆『宇宙からの帰還』

宇野重規『民主主義のつくり方』

・落合陽一『半歩先を読む思考法』

原武史団地の空間政治学

・ズンク・アーレンス『TAKE NOTES!』

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

・小島美羽『時が止まった部屋──遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』

・藤田一照『現代坐禅講義──只管打坐への道』

・山井梨沙『FIELDWORK─野生と共生』

柳宗理『エッセイ』

柳宗悦『美の法門』

・柳田由紀子『宿無し弘文─件スティーブ・ジョブズの禅僧』

・石戸諭『東京ルポルタージュ──疫病とオリンピックの街で』

・野地洋介(編)『やさしくなりたい』vol.2

・セオ商事(編)『ニューQ』ISSUE02 エレガンス号

……と言いつつ、読書メモを見ながらPickしてたら、たくさん挙げてしまいました。自分が関わったもので言えば、PLANETS(編)『モノノメ 創刊号』もとても良い本です。

 

このへんでスムーズに仕事の話に移ると、まず大きかったのは、PLANETSでインタビュー連載を持たせていただけるようになったこと。毎回、準備もインタビューも原稿をまとめるのも本当に大変なのですが、その分得られるものもとても大きい感覚。もちろん、僕が世に強く紹介したい人たちの考えや経歴を深く綴れるのもとてもやり甲斐がありますし、長めの対話を経ることで、結果的にインタビュイーの方々ともその後につながる良い関係性を築けていて冥利に尽きる。機会をくださったPLANETSとインタビュイーの方々には本当に感謝です。来年も引き続き、聞いて綴っていきます。

slowinternet.jp

 

そもそも連載に限らず、PLANETSには今年一年、とてもお世話になりました。編集部メンバーとしてがっつり関わらせていただき、寄稿記事の企画・編集をたくさんさせてもらいました。新創刊の雑誌『モノノメ』にも、2号からは編集部メンバーとして関わっており、とても良い機会をいただけています。

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そうそう、今年は、民藝について色々と考えた気がします。ちょうど『民藝の100年』展という素晴らしい展覧会もやっていますが、民藝に関する読み物をいろいろと読んだり、ちょこちょこ仕事でも関わったりしていました。直接民藝、というよりは、その精神性をどう現代に持ち帰るか、という仕事が多かった気がします。

www.momat.go.jp

絶賛制作中の『モノノメ』2号のこの企画も、実は民藝の精神性についての企画です。

足掛け3年、ようやく刊行に漕ぎ着けたこの本(編集協力しました)でも、実は民藝が一つの重要なキーワードとして出てきています。

www.amazon.co.jp

 

 

民藝と微妙に関係するところでいうと、今年はデザイン領域の仕事もたくさんしました。デザインの可能性を探究するデザインビジネスマガジン『designing』というメディアに編集部メンバーとして参加。

note.designing.jp

デジタル領域を中心に、たくさんのデザイナーさんたちを取材しました。グッドデザイン賞の取材で愛知まで足を運んだのはいい思い出です。編集部メンバーとは、だんだん勝手ながら戦友感が出てきています。来年も頑張りたいです。

note.designing.jp

note.designing.jp

note.designing.jp

note.designing.jp

編集部の人と一緒にいったこの展示にも、とても感銘を受けました。

www.taromuseum.jp

 

それから、HRベンチャー・カオナビのオウンドメディアのコンセプト策定から立ち上げ、運用までご一緒したのも楽しかったです。声をかけていただいた、他の媒体でもライターとしてたくさん力を貸していただいている鷲尾さんには感謝です。こっちもより一層、良い意味でカオスなメディアになっていくよう来年もがんばります。

unique.kaonavi.jp

 

もちろんほかにも、たくさんの良いお仕事の機会に恵まれました。ぜんぶ書くとヤバいことになりそうなので割愛しますが、これからも大切に育てていきたい縁ばかり。今年は、仕事相手の数が増えたというよりは、もともと仕事していた人たちとより深く関われるようになった感覚があって嬉しいです。

 

心残りとしては、いくつか走り始めていた同人的制作活動があまり結実しなかったことです。こちらは今自分として強い欲望を持っているところでもあるので、来年はがんばります。とりあえず一つポッドキャストを立ち上げるのが決まっているのでそれを目一杯楽しむのと、自分主導で好き放題やる制作活動もしたいなと思っています。これまでいろいろと散発的に興味関心をつまみ食い的に深めていく中で、それらを貫く軸みたいなのもおぼろげながら見えてきつつあるので、そういうのを楽しく、より深めていく場がつくりたいなと。

 

そういえば、2021年は友人との勉強会、ちょくちょく新しい人に会う機会も増えるなど、直接仕事には関係ない人間関係も深めたり広げたりする機会が多かった印象があります。コロナ挟んでるからより一層、というのはあるのだろうけど。

 

あ、音楽の話もしようかな。後述するように、今年は基本的にカネコアヤノの年だったのですが、それでもいくつかいい音楽体験を得られました。Apple Musicを見てても、前半のことがあんま思い出せなかったので、最近の話中心の振り返りにはなっちゃいますが。

友達が「絶対好きなはず」と勧めてくれたので聴いてみたら、とても好きな感じでした。

kiss the gamblerの「黙想」をApple Musicで

 

あと、ヨギーとかオザケンとか、最近のアルバムや曲が個人的にいまいちピンと来てなかった人たちの新曲や新アルバムがめちゃよくて嬉しかったです。

Yogee New Wavesの「WINDORGAN」をApple Musicで

小沢健二の「飛行する君と僕のために/運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ) - Single」をApple Musicで

 

桑田の新アルバムも、ほんと王道ですごいよかったなぁ。

桑田佳祐の「ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し - EP」をApple Musicで

 

それと、ライブではこの前に行った、思い出野郎Aチームの「ソウルピクニック 2021」がピースフルでよかったです。

kakubarhythm.com

……まぁでも、音楽に関しては、後述するように今年はほとんどカネコアヤノに持っていかれてしまったので、「強いて言えば」レベルです。

 

そろそろ締めていきます。

来年は、まずライターとしては、ノンフィクション小説的表現の探求をがんばりたいと思っています。これまであまり読んでこなかったのですが、2021年はノンフィクション小説をけっこう読んでいて、その表現の豊穣さに今さら感銘を受けました。僕もいちおうノンフィクションの読み物を作る書き手の一人として、そうした表現スタイルをいかにして現代で継承できるか、トライしていきたいと思います。(そういうルポルタージュ系のお仕事ありましたら、ぜひご相談いただけると嬉しいです)

 

編集者としては、まだまだ企画力やアドバイス力が足りないなということを日々痛感しているので、意識的にインプットの幅を増やしながら、独自性の高い切り口の企画を立て、形にしていくチャレンジを重ねていきたいです。そのため、だけじゃないですが、来年は仕事関係なく積極的に首都圏外に足を運びたいなー、と思っています。

 

あとは、さっき書いたように、同人的制作活動は何かしら形にします。

 

そんな感じで、2022年も年明けから楽しくやっていけるといいなと思っています。

それでは、よいお年をお過ごしくださいませ。

 

 

 

 

 

 

最後に一つだけ。

もともと、これ以降の内容を一番最初に思いついて冒頭に書いたのですが、あまりに気持ち悪くて読み進めるのが困難な人が増えそうな気がしたので、最後に移しました。物好きな人だけどうぞ。

僕が2021年という年を振り返るとき、一番に思い浮かぶ固有名詞は「カネコアヤノ」です。

最近はもう飛ぶ鳥を落とす勢いで、この前友達と「そろそろユリイカで特集されそう」なんて話もしてました。「なんで今さら?」感もあると思うのですが、2021年の春頃、雷に打たれたように急速に心を捉えられてしまいました。打たれはじめの時期、こんなブログも書いていましたね。

masakik512.hatenablog.com

僕はふだんは音楽はそこまで熱心に聴くわけではないのですが、だいたい5年に1回くらいの周期で、雷に打たれたように特定のアーティストに入れ込んでしまうことがあります。そうなるともう、とにかくその人の曲を聴きまくるのはもちろん、四六時中その人のことを調べたり考えたりしてしまう発作に襲われる。

また、言葉を扱う仕事をしていながらこんなことを言うのは憚られるのですが、僕はふだんかなり身体的に音楽を聴いていて、正直あんまり歌詞とか聴いていません。基本的にはバンドサウンドを聴いていて、ブラックミュージックやロックのテイストとポップスの情感が混じったようなタイプの曲が好きで、基本的には歌も演奏の一部くらいに捉えちゃっています。でも、その「5年に一度」が訪れたときだけは、歌詞も狂ったように味わう傾向があるように思えます。

……という気持ち悪い自分語りを重ねてしまったのですが、まぁとにかく、久しぶりに取りさらわれてしまったアーティストがカネコアヤノだったのです。音源やライブ映像を手に入る限りは死ぬほど聴いたのはもちろん、ライブにも可能な限り足を運び、首都圏でやっていたものはたぶん全部行きました。

なぜそんなに惹かれているのか、言語化はなかなか難しいのですが、できるだけ頑張って私見を述べます。

まずとにかく、典型的なライブアーティストで、ライブパフォーマンスがほんとうに素晴らしい。めちゃくちゃデカくて存在感があり、攻撃的な歌声。本当に気持ちよさそうな表情でかき鳴らすギター。あんまり良い語彙が出てこないのですが、マジでかっこいい。うまいでもなく、かわいいでもなく、かっこいい。MCはほとんどせず、淡々と演奏をこなしていき、でもライブ中一回だけするMCシーンではゆるくお茶目に、来場者の健康を気遣ってくれる。ものすごいエキサイティングでありながら、とてもじんわりと心温まる、奇跡的な時空間が成立している。何度足を運んでも、まったく飽きる気配がないどころか、毎回新たな感銘を受ける。

そして、エネルギッシュでパンキッシュに歌い上げるにもかかわらず、その内容は一見まったく攻撃的ではなく、むしろ「日常の些細なものごとを大切にしよう」的な世界観であるというギャップ。「ていねいな暮らし」的な権威性とは無縁で、ある意味で凡庸な、インスタントコーヒーや洗濯物に見出す詩情。それをとても攻撃的に歌っているさまからは、生活を自分なりに組み立てて味わうこと、それこそが最強のカウンターなのだと伝わってくる。先ほども少し触れたように、今年は花森安治の文章を集中的に読んだりもしたのですが、「暮らしという抵抗」を大切にしている点で、共通した精神性を感じました。

凡庸な暮らしを愛おしむということは、日常と祝祭という二項対立を解体することも意味している。しんどい日常と、そのストレスを発散するための祝祭という対立ではなく、日常の中にこそ祝祭を見出し、祝祭を日常に組み込んでいくこと。2021年11月29日、初の武道館ライブでは、最後のアンコール曲として演奏した「アーケード」という曲が始まった瞬間、会場の照明が一気にパッとついて、それまで座っていたフロアの全員が自然と立ち上がった。そのとき、まさにライブという祝祭のピークポイントが、明るい照明という日常の中で訪れて、日常と祝祭の境が溶けたような感覚になったのをよく覚えている。

……まぁとにかく、来年も彼女とそのバンドの生み出す素晴らしい創造物を、思う存分味わいたいなと思っています。

 

気づけば7,000字近くになってしまっていた。今度こそ本当に、良いお年を。

「年末進行」という虚構、そして韓ドラ

最近、やたらと仕事が立て込んできたのと、ほとんどが緊急事態やら何やらに消えていった秋までの反動なのかここぞとばかりに飲み会が入っているので、肩や腰、肝臓がなかなか弱ってきている。でも、嫌な忙しさじゃない。アドレナリンが出る系のやつ。身体だけ壊さないように気をつけつつ、駆け抜けたい。

 

 

仕事といえば、最近、「年末進行」の持つ虚構性のようなものについて考えている。僕もご多分に漏れず、師走っぽい感じの立て込み方になっているのだけれど、そもそもだいたいの仕事は、年末だからといってタスク量が増えるわけではないのではないか。もちろん、年末年始の休みの影響で営業日が少ないみたいな要因もなくはないのだろうけど、「年末だから」と、仕事を頼む方も受ける方も、リソース管理がなし崩し的に甘くなっている気もする。年末が忙しいから「年末進行」なのではなく、「年末進行」という言葉があるから年末を忙しくしてしまう趣深さ。言葉というものが生み出す、フィードバックループの片鱗が見える。そんな僕も、「年末進行」の真っ只中にいる。

 

 

その反動もあってか、ここ数週間、一気にNetflixの韓ドラを見漁る日々。といっても、まだ『愛の不時着』と『海街チャチャチャ』を立て続けに見たくらいだけど。こう言ってはなんだが、話としての深みはほとんどないと思う……と言ったら怒られるだろうか。ご都合主義で、ワンパターンで、前時代的。批評的な読み解きに耐えうるものではない。それでも、キャラクターの魅力と会話のテンポの良さ、画面の綺麗さや温かさで一気に惹きつける。頭を空っぽにして、スーパー銭湯でダラけるかのように楽しむ。立て込んでいる時期だからこそ、強制的なリフレッシュ的装置になるし、こういうコンテンツももちろんあってもいい、というか嫌いじゃないが、こうしたものがグローバルで大きな存在感を示していることは、なにかを象徴している気もする。

 

 

 

 

 

嗜癖について

基本的に、夜はお酒を飲んで心身を弛緩させることが日常になってしまっていたのだけど、ここ最近、主に忙しさと体調が原因で、一人で飲むことを控えている。

 

正直、めちゃくちゃ飲みたくなる瞬間もあるのだけど、なんとか耐えられている。なんというか、仕事や勉強でアドレナリンを出すことによって、擬似的な酩酊感覚を得ている気持ち。あまりいい気の紛らわし方ではないと思うし、実際、飲んでないのに疲れは抜けない。

 

おそらくもうすぐローンチされると思うのだが、去年、嗜好品の役割について、主に人文的な視点から考える仕事を、半年くらい集中的にやっていた。色んな人に話を聞いたが、視点はさまざまあれど、結局みんな言っていることは同じ。要するに、人間は機械ではないし、ロジックだけで動いているわけでないから、時折嗜好品のように冷静に考えるとただ身体に悪いだけのものをたしなまないと、人間の人間らしさ、言ってみれば非合理性が担保できないということ。

 

結局、お酒がなくなったからといって、また別のものに頼ってしまうだけ。もちろん、いわゆる依存症は適切に治療されるべきだし、そうなることを推奨しているわけでは、もちろんない。ただ、そうした人間のままならなさ、業の深さのようなものをある程度は許容してあげないと、人間は人間でなくなる。

 

何が言いたかったんだっけ。

 

あ、そうそう。1年くらい積んでた『愛の不時着』、ここ2週間くらいどハマりしていて、先ほどようやく完走。個々のキャラクターが魅力的な青春群像劇、ベタすぎるし計算され尽くされているけど漏れなく泣かされてしまう演出やストーリー設計、そして南北朝鮮という舞台装置を極めて巧みに使っている。これは流行るわ、と思う。僕はトレンディドラマを観るのが好きで、もはやライフワークになりかけてすらいるのだけど、愛の不時着はほぼトレンディドラマだと感じた。韓ドラ、今までほとんど関心がなかったのだけど、このトレンディドラマ性をもっと掘ってみたくなった。

 

要するに、仕事、そして『愛の不時着』という嗜好品によって、お酒なしでもやっていけてた、というしょうもない話。

 

誰にも告知せず、こういうまったく意味のない雑文を、夜な夜なスマホで書き綴るのは楽しい。これもまた嗜癖なのかもしれない。